映画やドラマ、舞台などで女優として活躍を続けている多岐川裕美さん。
衝撃のヌードデビューや波乱の私生活を乗り越え、たくさんの作品の出演してきました。
今回は多岐川裕美さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】多岐川裕美は若い頃美人!
20代(1971年~1981年)
引用元:シネマNAVI
多岐川裕美さんは、1974年(当時22歳)、東京駅付近でアルバイトをしているときにスカウトされたことが芸能界デビューのきっかけでした。特に映画や演技に興味があったわけではありませんでしたが、東映と契約をし、当時通っていた山脇学園短期大学(2011年廃止)を退学しています。
多岐川さんはのちのインタビューで、「小さい頃から将来の夢的なことをほとんど考えたことがありません」と話していました。当時は多岐川さんの母が次から次へとお見合い話を持ってくる環境だったため、スカウトされるまで「このまま主婦になるんだろうな」と思っていたそうです。
多岐川裕美さんをスカウトしたのは、デビュー作となる映画「聖獣学園」の監督を務めた鈴木則文さんでした。芸名は鈴木さんが、役名の「多岐川魔矢」と偶然見た女性週刊誌の懸賞1等当選者の名前「裕美」から、芸名を「多岐川裕美」と名付けました。本名は「大内薫」です。
スカウトされてすぐの1974年2月(当時22歳)に、映画「聖獣学園」でいきなり主演デビューを果たしました。この作品はエロティック&バイオレンスの怪作といわれ、多岐川さんは修道院のシスター役で出演し、多岐川さんはこの作品でヌードを披露しました。
上の画像は、裸の上半身に薔薇のツルを巻き付けられて鞭で打たれるシーンのものです。すごく衝撃的な写真ですが、多岐川さんはとても美しいですね。
この映画の公開当初は、全くヒットせずに忘れられた映画となっていたようですが、1980年頃(当時28歳)に多岐川さんが清純派女優のイメージを確立してきた頃に、かつてヌードになっているとメディアに取り上げられて再公開されたそうです。
多岐川さんはこれ以降ヌードを拒否しており、多岐川さんにとっては黒歴史のように思っているようです。
引用元:X多岐川裕美さんの「あいつの残影」はジャケだけ最高歌謡 pic.twitter.com/eCvKV4Ltt3
— オッチー (@occhiii) May 4, 2018
1976年11月(当時25歳)に「あいつの残影(かげ)」で歌手デビューしました。この曲は多岐川裕美さんが主演を務めた東映映画「新・女囚さそり701号」の主題歌として使用されました。上の画像は「あいつの残影」レコードのジャケット写真です。妖艶な雰囲気があって綺麗ですよね!
そして、1978年(当時27歳)の時、多岐川さんはドラマ「飢餓海峡」にヒロイン役で出演する予定でしたが、浦山桐郎監督からヌードを求められ、それを拒否して降板しました。
当時所属していた東映から三船プロダクションへの移籍がなかなか思うように進んでおらず、それに気を取られて、脚本を理解せずに撮影に臨んでしまった、と話していたそうです。
引用元:NHK
1979年2月(当時28歳)、筒井康隆のSF小説を原作としたドラマ「芝生は緑」、1979年8月(当時28歳)「七瀬ふたたび」で主役の火田七瀬を演じ、多岐川裕美さんの当たり役となりました。多岐川裕美さんの透明感のある美しさや、ストーリーの悲劇的な結末などが当時話題になったようです。
上の画像はドラマ「七瀬ふたたび」の時のものです。美しさに魅了されてしまいますね!世間ではアイドル的な人気となっていました。
多岐川裕美さんが演じた火田七瀬は、他人の心が読めるテレパスという能力を持つヒロインで、ドラマの中では他にも超能力を持つ若者が数人登場し、その孤独と苦難を描いた不思議な世界の作品でした。
その後、2010年(当時59歳)に映画「七瀬ふたたび」の公開に合わせてつくられた、本編前に上映される10分間の短編映画「七瀬ふたたびプロローグ」に出演し、主人公火田七瀬の母親役を演じました。
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多岐川裕美さんは、デビュー作でヌード披露することになってどう思っていたのかな?
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1980年に週刊誌上で「監督に騙された」と告白したそうよ。
それに対して、当時の監督が「騙されたとは何事か」と応酬して、ドロ沼状態になったみたいね。
30代(1981年~1991年)
引用元:X#昭和 #TBSテレビ
— すずよし (@pingu_2660) April 23, 2017
昭和56年(1981年)
TBSドラマ「微笑天使」より
・多岐川裕美、芦田伸介
・多岐川裕美、中山 仁 pic.twitter.com/vwsPrFqmk2
20代から30代になっても引き続き、映画、ドラマなど様々な作品に出演した多岐川裕美さん。
1981年(当時30歳)ドラマ「微笑天使」に出演しました。看護師になるために上京したヒロイン役を演じています。上の画像はその時のものです。ナース姿もとても綺麗でお似合いですよね!
デビュー作でヌードを披露して以来、ヌード出演を拒否している多岐川裕美さんですが、この作品ではセミヌードを披露しているそうです。
引用元:X、NHKオンデマンド#このNHK大河こそ最高傑作 峠の群像ですねぇ pic.twitter.com/9GVHDfC8BV
— のんちゃん (@jazzranchan) March 29, 2024
多岐川裕美さんはNHK大河ドラマにも多数出演しており、正統派女優のイメージが強くなりました。1976年(当時25歳)「風と雲と虹と」に始まり、6作品に出演しています。
上の1枚目の画像が、1982年(当時31歳)「峠の群像」の番宣広告のもので、2枚目の画像が1984年(当時33歳)「山河燃ゆ」に出演されたときのものです。演じた時代や役柄の違いもありますが、2枚の写真は全く違う雰囲気が感じられますね。
「当時はまだ若かったのでアル中がどんなことなのかまったく分からず、酔っぱらった人を観察してその振る舞い、歩き方などを真似ました。日系アメリカ人のこともあまり知らなかったので自分なりに勉強して、エミーというヒロインになりきろうと努力したのを覚えています。エミーを演じたお陰で、女優としての視野と幅が広がったように思います」
引用元:AERAdot
その時のことについてそうお話しています。「山河燃ゆ」は大河ドラマの路線変更で時代劇から離れた近代シリーズ第1作で、第二次世界大戦以後について取り上げられました。多岐川裕美さんは主人公の妻で、アルコール中毒を患う日系2世のエミーを演じました。
引用元:X【ちょっと一興😉】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) August 28, 2024
モノクロ(番宣用)▶カラー
ドラマ『湖水祭』
〔フジテレビ/1983~84年放送〕より
(右から)#多岐川裕美 #田村亮 #平岩弓枝ドラマシリーズ @retoro_mode pic.twitter.com/COlR205O9u
1983年9月(当時32歳)から放送された「平岩弓枝ドラマシリーズ 湖水祭」では、主演の古河雪江役を演じました。上の画像はその当時のものです。
白夜の北ヨーロッパと日本を舞台としたドラマで、撮影中は1番暑い時期だったうえ異常気象ともいえる状況だったそうです。多岐川裕美さんは暑さが苦手だそうで、「過酷なロケだった」と話していました。
多岐川裕美さんは、20代・30代に様々な役柄を演じてきましたが、ドラマや映画など俳優の仕事に関して「もらうのは“静”の役柄が多かった」と話しています。30代後半くらいから「いただく役の幅の狭さに悩むようになりました」と後のインタビューで明かしていました。
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多岐川裕美さんは、どうしてもらう役幅の狭さに悩んでいたのかな?
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それは、「プロデューサーや監督が“多岐川裕美”という女優に持つイメージを壊したい。」と思っていたからみたいよ。70代になった今でも大きなテーマとして考えているみたいね。
40・50代(1991年~2011年)
引用元:スポニチ
1992年(当時41歳)の時、「いつかギラギラする日」に主演の萩原健一さんの恋人である美里役で出演します。この作品は多岐川裕美さんの代表作の1つといわれ、本人も「若い方におすすめ」と話しています。上の画像は試写会の時のもので、左から2番目の立っている女性が多岐川裕美さんです。
本作は、深作欣二さんが監督を務めるアクション映画で、多岐川さんは別荘にギャングを匿ったり、ナンパしてきた若い男の子の頬をカミソリで切りつけたりする、あまり多岐川さんのイメージにはない役柄を演じました。多岐川さんにとって、演じていて楽しい役柄だったそうです。
ですが、撮影はとてもハードで、夜中でも撮り終わらないと何時まででも撮影が続けられたそうです。しかし、当時の多岐川さんは現場の独特の緊張感からか、体力的にきついと感じたことはなかったそうで、「あの経験は自分にとっては財産」と語っていました。
引用元:X昨日の鬼平犯科帳を録画でみました。なんだかもう泣けてしまって泣けてしまって(T_T)でも良かった(^^)
— 🇯🇵ちのちゃんはみゆきち🎌💕🍀 (@y4frtdSwW49bF26) September 8, 2020
多岐川裕美さん好き。 pic.twitter.com/fAmCpmH9e6
1989年(当時38歳)から2007年(当時56歳)まで「鬼平犯科帳」シリーズに出演し、こちらも多岐川裕美さんの代表作といわれています。多岐川裕美さんは主人公の長谷川平蔵の妻である久栄を演じました。上の画像はその時のものです。落ち着いた雰囲気でとても素敵ですよね!
後のインタビューで「久栄はすてきな役でした。吉右衛門さんは鬼平に心から命を吹き込んでいるので、歩くシーンや息遣いにも見とれちゃって…。自分の演技を忘れて私、何度もNGを出したんですよ」と振り返っていました。
また、撮影期間は多岐川さん出産後の復帰作が舞台版「鬼平犯科帳」だったそうで、鈍った勘を取り戻すのに当時はとても苦労したそうです。
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多岐川裕美さんは、デビューしてからずっとドラマや映画で多忙だったようだけど、どのように感じてたのかな?
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こんな女優になりたい、といったことをほとんど考えずに過ごしてきたそうよ。でも、50歳になってこのままでいいのかと思い、55歳で初めてまとまった休みを取って自分と向き合う時間を作ったみたいね。
60代以上(2011年~)
引用元:スポニチ
2022年(当時70歳)にNHK「カムカムエヴリバディ」でNHK連続テレビ小説に初出演しました。
岡田結実さんが青年期を演じていた雉真雪衣(きじまゆきえ)の晩年を演じました。サプライズでの登場だったようです。上の画像はその時のものです。年齢を重ねても落ち着いた美しさは変わっていないですね!
出演が決まる前からこの作品を見ていたという多岐川さん。話の中で青年期の雪衣が結婚をする場面が放送されていた時に、出演決定の知らせが届いたそうです。
「物語としても怒濤の展開で2人が結婚したことにびっくりしていたところへ、その雪衣さんの晩年役と聞きましてさらにびっくり!びっくりが重なりました。」と話していました。
引用元:フジテレビ
2024年(当時73歳)には、「托卵」をテーマにしたドラマ「わたしの宝物」に出演し、主人公の入院している母親役を演じました。上の画像はその時のものです。役作りのためか少し痩せた印象ですが、優しく子供を気遣っている姿がとても素敵でした。
この作品について「娘を持つ立場としてボロボロ泣いてしまい、“あ、違う!”と役になって読み返しました。親はどんな時も子供が宝物。」と話していました。
また、今まで女優として様々なストーリーを経験されてきましたが、この作品のような「ドロドロ劇は好き」と話していたそうです。
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多岐川裕美さんがこれからやりたい役ってどんな役なのかな?
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コメディ系の役をやってみたいそうよ。今までほとんどやったことがないんだって。「笑っちゃうような、突拍子もない70代の女性の役とか、ぜひやりたいですね。」と話していたそうよ。
多岐川裕美さんが所属する”トライストーン・エンタテイメント”には他に誰が所属してる?
引用元:トライストーン・エンタテイメント、トライストーン・エンタテイメント、トライストーン・エンタテイメント
多岐川裕美さんの所属するトライストーン・エンタテイメントには、小栗旬さん、田中圭さんや木村文乃さんなどが所属しています。
【画像】多岐川裕美と元夫の離婚理由は?脳梗塞の噂の真相は?
多岐川裕美と元夫の離婚理由は?
引用元:日刊ゲンダイ
引用元:デイリー
多岐川裕美さんの元夫は阿知波信介(あちは しんすけ)さんです。阿知波さんは元俳優で、多岐川さんの当時所属していた事務所の副社長であり、マネージャーを務めていました。多岐川裕美さんは1984年8月(当時33歳)に結婚しています。
多岐川裕美さんと阿知波さんが交際していた時、別居していたものの阿知波さんには本妻がいたという話があり、不倫関係からの略奪婚だったという噂があります。当時直撃された阿知波さんは「なにもないですから、勘弁してくださいよ」と答えていたそうです。
その後、1988年9月(当時37歳)に長女でありタレントや女優として活躍する多岐川華子さんが誕生しましたが、1997年(当時46歳)に2人は離婚しました。
多岐川裕美さんは離婚後も事務所に所属し続け、副社長と所属俳優という関係性はしばらく続きました。離婚理由について、1997年6月17日(当時46歳)の記者会見で以下のように話しています。
「(離婚を決意した原因は)価値観の違いです。彼が私にさせたい仕事と、私がやりたいものが違って、そんな会話が家庭にも入り込んできていて…。(夫は)興奮するタイプですからね。私、大声で怒鳴られるの、嫌いなんです。だから、私の心に離婚という気持ちが芽生えたのは、何年も前からでした」
引用元:Asagei plus
また、阿知波さんは子育てにあまり参加しなかったようで、「本当に大変な時や、どうして夜泣きしているのかわからなくて不安だった時も、(夫は)父親として子供に接してくれませんでしたから。」と明かしていました。
離婚後に阿知波信介さんは3度目の結婚をしましたが、2007年5月(多岐川裕美さん当時56歳)に鹿児島県霧島市の犬飼の滝で遺体で発見されました。自殺だったようです。タクシーで観光地巡りをし、「ほかにどこかない?」と尋ねられた運転手が連れて行った先が犬飼の滝だったそうです。
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多岐川裕美さんの元夫の阿知波信介さんは、どうして自ら命を絶ってしまったのかな?
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亡くなる3年前に脳梗塞を患って、高血圧の治療が続いていたこともあったから、体力が落ちたと周囲に話していたみたいね。それに伴って気力も落ちていたそうよ。
当時運営していた事務所も経営不振だったみたいね。
多岐川裕美の脳梗塞の噂の真相は?
引用元:ORICONNEWS
引用元:ORICONNEWS
多岐川裕美さんは、2017年10月9日(当時66歳)放送のTBS「名医のTHE太鼓判!」の余命ワーストランキングに出演しました。東京国際クリニックで脳の内部を検査した結果、隠れ脳梗塞が15個以上見つかったそうです。
隠れ脳梗塞は、症状が現れない小さな脳梗塞ですが、10年以内に症状が現れる脳梗塞を発症するリスクがあると医師から説明があり、余命宣告は16年(寿命82歳)でした。
多岐川裕美さんは若い頃に毎日ワインをボトル1本、タバコを毎日40本吸っていたヘビースモーカーだったそうで、その頃の生活習慣が影響していることが考えられます。
ちなみに、上の画像は「名医のTHE太鼓判!」が放送された2017年に娘の多岐川華子さんと撮られた写真です。とても仲が良さそうな美人親子ですよね。
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多岐川裕美さんは、健康についてどう考えているのかな?
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2022年(当時71歳)に「10年後も舞台に立てるように健康でいたい」と話していたそうよ。好きな赤ワインは食事の時に1~2杯、まとめて休めるときにはジムでヨガや水の中を歩くアクアビクスをして、運動しているみたいね。
多岐川裕美さんがデビューした1974年はこんな年だった!
引用元:nippon.com、nippon.com、NHK
多岐川裕美さんがデビューした1974年は、人気キャラクターの「ハローキティ誕生」、今なお語り継がれる「長島茂男さん(巨人)現役引退」、日本人で唯一である「佐藤栄作さんがノーベル平和賞を受賞」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語は、プロ野球界で長嶋茂雄さん引退挨拶での言葉である「巨人軍は永久に不滅です」、全裸で街中を疾走することである「ストリーキング」、ゼネラル石油がオイルショックの際に社内に通達したとされる「千載一遇のチャンス」でした。
多岐川裕美のプロフィール・SNS
引用元:トライストーン・エンタテイメント
プロフィール
- 名前:多岐川 裕美(たきがわ ゆみ)
- 本名: 大内 薫(おおうち かおる)
- 生年月日:1951年2月16日
- 年齢:73歳(2024年2月現在)
- 出身地:東京都杉並区
- 血液型:O型
- 趣味:通販、トランプ、カードゲーム、ゴルフ、ドライブ
- 特技:ゴルフ、ドライブ
- 所属事務所:トライストーン・エンタテイメント
受賞歴・著書
受賞歴
- 1976年:エランドール賞新人賞
著書
- 1980年:「夜間飛行-見知らぬあなたへそっと 写真とエッセイ集」
- 1992年:「ディーヴァー多岐川裕美写真集」
- 1993年:「多岐川裕美さんのニットブック」
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多岐川裕美さんの普段の生活はどんな感じだったのかな?
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多岐川さんは仕事が忙しい時以外は自分で家事をやっていたそうだけど、料理が苦手みたいよ。でも、クックパッドを見ながら娘さんの分も一緒に作ることもあったそうよ。