作詞家・女優・小説家・エッセイストで活躍を続けている阿木燿子さん。
作曲家として数々の大ヒット曲を生み出し、女優としてもドラマや映画にも出演してきました。
今回は阿木燿子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】阿木燿子は若い頃美人!
幼少期・10代(1945年~1965年)
引用元:朝日新聞
阿木燿子さんは、1945年5月1日に長野県長野市で生まれ、その後家族で神奈川県横浜市へ引っ越し3人兄弟(兄・妹)の長女として幼少期を過ごしていました。
子どもの頃は、人見知りが激しくて内気な女の子で、幼稚園へ行くのが本当に嫌だったそうです。しかしその反面、家の中では「内弁慶で威張っていた」と阿木さんは当時のことを話しています。
幼少期にはあまり本は読まなかったようですが童話は好きで、お人形を作ることも好きでした。阿木さんのお母さんは当時打ち直しで布団を作っており、その綿を半分もらい大きいぬいぐるみを作ったそうです。
お母さんに「これじゃあ、お布団が作れなくなっちゃう!」と言われたそうで、他にも料理と洋裁が好きだったそうで、愛読書は料理の本や手芸の本が多かったようです。
阿木燿子さんは、1958年13歳の時に、中高一貫の捜真女学校(そしんじょがっこう)中学部・高等部へ進学・卒業し、その後1964年19歳の時に、明治大学文学部に入学し軽音楽部に入部されました。そこで夫の宇崎竜童さんと出会いました。
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阿木燿子さんは、どんな教育方針で育てられたのかな?
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それは、男性優位という方針で、兄のおかずが自分と妹よりも1品多いと兄とけんかしても「(女性は)常に優しくありなさい!」と母親から教えられたそうよ!
20代(1965年~1975年)
引用元:YouTube
阿木燿子さんは、1969年(当時24歳)の時に、グループサウンズ・ジュリーとバロンのデビュー曲「ブルー・ロンサム・ドリーム」を作詞しました。
この時、阿木燿子さんは、宇崎竜童さんと初めて2人でレコードを作りました。その後作詞・阿木燿子と作曲・宇崎竜童のコンビで大ヒットを生み出すスタートとなる原点であったことが確認できます。
上の画像はその時のものです。この時の「ブルー・ロンサム・ドリーム」は売れることはなかったですが、とても素敵な曲でした。
引用元:クロワッサンonline
阿木燿子さんは、1971年(当時26歳)の時に、ミュージシャンの宇崎竜童さんと結婚しました。
この時、阿木燿子さんは、「大学時代に知り合って、宇崎に軽音楽部に勧誘されたのが出会いです。それから知らず知らずのうちに、気づいたら一緒に住んでた」とお話しされており、お互いの両親にも「そろそろ(結婚)」とせかされて結婚したました。
上の画像は1971年ごろの時のものです。横浜から赤坂へ移り住んで、のちに事務所として使用した部屋です。
引用元:UtaTen
阿木燿子さんは、1975年(当時29歳)の時に、宇崎竜童さん率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドのために詩を書いた「港のヨーコ、ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒットしました。
この時、阿木燿子さんは、「この曲は私が燿子(ヨーコ)で・横浜育ちで・両親が横須賀に住んでいたので!ひらめきから歌詞が生まれた」とお話しされており、ひらめきから思いついて書いて大ヒット!この頃に、作詞家としての才能が開花されていたことが確認できます。
上の画像は「港のヨーコ、ヨコハマ・ヨコスカ」のジャケット写真です。当時、阿木さんは「ハンサムでもなく歌もうまくない宇崎が成功するはずがない。」と否定的でしたが、結成3年目にして阿木さんが作詞を手掛け大成功されました。作曲家として阿木燿子の名を世に知らしめた作品となりました。
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阿木燿子さんは、どうしてダウン・タウン・ブギウギ・バンドへ歌詞を書いたのかな?
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それは、大学時代宇崎さんに頼まれては歌詞を書いていたらしくて、阿木さんの書く詩に宇崎さんが惚れ込んでいて、その思いが伝わっていたんだね!
30代(1975年~1985年)
引用元:婦人公論
阿木燿子さんは、1976年(当時31歳)の時に、山口百恵さんの13枚目のシングル「横須賀ストーリー」を手掛けました。
この時阿木燿子さんは、「百恵さんが小学生のころから過ごした思い出の土地、自分の両親が横須賀在住であったため最初にこのタイトルを決めた」とお話しされています。
阿木さんは作詞を行う際、タイトルがひらめいたら、曲はだいたい出来上がるそうです。阿木さんの作詞家としての才能は素晴らしいですね!この年の日本レコード大賞で日本作詞家大賞を受賞しました。
上の画像は当時の時のものです。この頃から阿木さんは作曲家として大忙しで、夫である宇崎さんも歌手として共に忙しくしていた時期でした。
引用元:zakzak
阿木燿子さんは、1980年(当時35歳)の時に、映画「四季・奈津子」で女優デビューをしました。
この時阿木燿子さんは、「この映画をお受けした時から覚悟はできていました。」とお話しされており、とても難しい役柄で体を張った演技もあった中で阿木さんは女優としても才能があったことが確認できます。
上の画像は映画出演時のものです。大人っぽくて美しい阿木さんは、この作品で報知映画賞の助演女優賞を受賞し、日本アカデミー賞でも助演女優賞にノミネートされました。
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阿木燿子さんは、どうしてこんなに多忙でもいろんなことを頑張ってこれたのかな?
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それは、自立した女性になりたい!と思っていたから!
小さなころは男性優位の家庭で育てられ、理不尽な思いを抱えていた阿木さんは仕事をして自立したいと思って頑張っていたみたいよ!
40代以上(1985年~)
引用元:ガジェット通信
阿木さんは、1990年(当時45歳)の時に、友人の誕生日パーティーの席で小島章司さんというフラメンコ舞踊の先生と知り合いになり、フラメンコをはじめました。
この時阿木燿子さんは、「人生の中で私が最も熱中したものの一つ」とお話しされています。
始めたきっかけは、パーティーで出会った数日後に散歩をしていると、偶然にも小島先生のスタジオの前を通りかかり、阿木さんは「そういう偶然を大事にするので!」と、その日のうちにシューズを買って小島先生のもとへ通い始めました。その後10年以上通い、ひざを痛めてやめたそうです。
上の画像は2015年(当時70歳)のとき、フラメンコ曽根崎心中の記者会見の時のものです。映画「曽根崎心中」で宇崎さんが出演し、その後ロックの楽曲で「ロック曽根崎心中」を上映しました。
そして阿木さんプロデュースでフラメンコの曲を使った舞踊劇として「フラメンコ曽根崎心中」を公演しました。
引用元:シネマトッピクス
阿木燿子さんは、2006年(当時61歳)の時に、映画「TANNKA 短歌」で初の脚本・監督を務めました。本作は、日本の歌人・俵万智さんの小説を原作に阿木さんが脚本・監督として初挑戦した作品でした。
この時阿木燿子さんは、「特に戸惑いも心配もなかった。逆に気負うほどの経験もないので・・・怖いもの知らずだったんでしょうね」とお話しされており、撮影前日は普段は眠りが浅いほうだがよく寝れたといい、現場のスタッフを和ませていたそうです。初脚本・監督をやりきったことが確認できます。
上の画像は「TANNKA 短歌」DVD発売の時のものです。
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阿木燿子さんは、どうしてフラメンコで曽根崎心中をやろうと思ったのかな?
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それは、スタッフの1人からやってみたら?と提案されたという理由から、当時お世話になっていた先生へ声をかけてみたら、「実は自分たちもフラメンコでやってみたいと思い企画書を提出したんですよ!」とあまりのタイミングの良さにやろう!と思ったみたいよ!
【画像】阿木燿子は現在顔が変わった?夫・宇崎竜童との馴れ初めは?
阿木燿子は現在顔が変わった?
引用元:gooニュース
引用元:NIKKAN SPORTS PREMIUM
阿木燿子さんの顔が最近パンパンに張れていて、何かの病気ではないか?と心配の声もあがっています。
もともと目鼻立ちがはっきりとしているお顔なので、加齢によっての変化なのでしょうか。現在(2025年2月)は、病気に関する情報はなく、阿木さん自身はとても健康や美容に興味があるそうです。
以前のインタビューでは「1日2リットルの冷たい水を飲むこと!数十種類の野菜を食べること!」を実践されており、最近では宇崎さんと夫婦仲良く筋トレや公園を散歩したりとしているそうですよ。
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阿木燿子さんは、どんなふうに健康を維持してるのかな?
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それは、料理が得意という理由から、食事には気を付けていてカロリーやバランスを考えた野菜中心の食事を作っているみたいよ!
阿木燿子と夫・宇崎竜童の馴れ初めは?
引用元:X今も素敵だけれど、若い頃の阿木燿子さんの超美しいことよ💕
— ふんわり卵 (@noho_hon1029) March 7, 2022
そりゃ、宇崎さんが惚れるはずだわ😍
話し方も美しくてお上品だし、ホントに素敵な女性✨#徹子の部屋#宇崎竜童 #阿木燿子#結婚50周年 #金婚式 pic.twitter.com/7H03fHHTZy
引用元:クロワッサンONLINE
大学時代、宇崎さんが先輩から軽音楽部の勧誘を指示され、はじめに声をかけたのが阿木さんでした。
宇崎さんは声をかけた瞬間に「この人何回も前世で会っていて、やっと会えた!もしかしたらこの人俺の嫁になる人じゃないかな」と思ったそうです。その後、阿木さんが軽音楽部に入部し大学2年の時に交際がスタートしました。
そこからは知らず知らずのうちに一緒に住み始め、出会ってから7年ほど経った時に、「そろそろ(結婚したら)」と両親に促され結婚しました。
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阿木さんが宇崎さんと長く夫婦の関係を続ける秘訣は何だったのかな?
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それは、お互いに尊敬しあえる関係性という理由から、愛するだけでは時に支配的になってしまうことがあるけど、尊敬しあっていたら夫婦関係を長く維持できるということだね!
阿木燿子のプロフィール・SNS
引用元:婦人公論
プロフィール
- 名前:阿木 燿子(あき ようこ)
- 本名: 木村 広子(旧姓:福田 広子)
- 生年月日:1945年5月1日
- 年齢:79歳(2025年2月現在)
- 出身地:神奈川県
- 血液型:A型
- 趣味:縫い物・散歩
- 特技:料理
- 所属事務所:(有)オフィス・ドラゴン
SNS・受賞歴
- オフィシャルサイト URL:http://yokoaki.jp/index.html
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受賞歴
- 日本レコード大賞
作詞賞(第18回・昭和51年)「横須賀ストーリー」
最優秀新人賞(第18回・昭和51年度)「想い出ぼろぼろ」
大賞(第21回・昭和54年)「魅せられて」
大賞(第28回・昭和61年)「DESIRE -情熱-」 - 日本作詩大賞
大衆賞(第9回・昭和51年度)「横須賀ストーリー」
作品賞(第9回・昭和51年度)「想い出ぼろぼろ」
作品賞(第11回・昭和53年度)「プレイバックPart2」
大賞(第12回・昭和54年度)「魅せられて」 - 日本レコードセールス大賞作詩賞(第10-12回・昭和52-54年)
- 報知映画賞最優秀助演女優賞(第5回・昭和55年度)「四季・奈津子」
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阿木燿子さんの料理が得意のきっかけって何なのかな?
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子供のころから料理の本が愛読書だったから大人になっても料理をするのは自然なことで、作ることが好きで得意になったみたいだね!