元々はお笑いタレントでありながら、俳優・映画脚本家・監督など様々なジャンルで活躍を続けている北野武さん。
明石家さんまさん・タモリ(森田一義)さんと共に「お笑いBIG3」として名を轟かせ、更には映画界でも数々の賞を獲得して「世界のキタノ」と評される海外でも注目される映画監督となっています。
今回は北野武さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】北野武は若い頃イケメン!
幼少期・10代(1947年~1967年)
引用元:足立区HP
北野武さんは、1947年1月18日に塗装職人の父・菊次郎さんと母・さきさんとの間に生まれました。教育熱心であったさきさんの薫陶を受け、成績優秀で特に数学が得意だったようです。高校卒業後は、明治大学工学部に現役合格を果たしました。
順風満帆に見えた武さんの人生ですが、大学が実家から遠いため1時間かかる通学が嫌になり、通学せず除籍となっています。「籍は6年間あったけど、通ったのは20日くらい」だったとのことです。
法的には中退となっていますが、明治大学からは後に「特別卒業認定証」と知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を授与されました。
ジャズに傾倒していたのも大学時代で、名曲喫茶「風月堂」に入り浸ったり、自身もジャズ喫茶「ヴィレッジ・ヴァンガード」のボーイとして働いたりしていました。お客さんから曲のリクエストがあると歌手・曲名を覚えていてすぐにかけられたので「優秀なジャズ好きだと思われていた」と話されています。
上の画像は足立区島根の自宅の前で兄の大さんと撮られたものです。武さんは子どもの頃、色白で細面、小柄ながら俊敏で友人たちには「ターチ」のあだ名で呼ばれていたそうです。やんちゃそうな笑顔が今と変わらず素敵ですね!
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北野武さんは、どうして明治大学の工学部(現:理工学部)を選んだのかな?
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それは、母・さきさんに「高度経済成長期だから文系は絶対ダメ。理工系に行け」と言われたからみたいだよ!
武さんはF1の設計士になりたかったんだって!
20代・30代(1967年~1987年)
引用元:サンスポ
北野武さんは、大学中退後 母・さきさんに勘当され実家を出てからは、数々のアルバイトをして過ごしていました。
ジャズ喫茶のボーイ、タクシーの運転手、デパートの食品売り場の店員、空港の荷卸し、ガソリンスタンド店員などを転々とした後、最終的に浅草フランス座のエレベーター番のアルバイトとして働き始めたようです。
この時 武さんは、「ジャズ喫茶でバイトをしていると新しい芸術(新劇や映画)の波が起きていて、俺も何かやらなきゃと思った」とお話しされており、それがきっかけで演芸場・浅草フランス座をアルバイト先に選んだことが確認できます。しかし、この時点では「エレベーター番=コメディアン志望」ということは知らなかったそうです。
上の画像は20代のあどけなさの残る武さんです。この頃、浅草フランス座で師匠・深見千三郎さんと運命の出会いを果たしました。
今の武さんの芸風は「深見さんの生き写し」と語る人も多いそうです。深見さんと武さんの関係については2021年公開の映画「浅草キッド」(原作:ビートたけし)でより深く知ることができますよ。
引用元:サンスポ
北野武さんは、1972年(当時25歳)に兼子二郎(のちのビートきよし)さんから漫才の誘いを受け、コンビを結成しました。当時 武さんはコントにこだわっていましたが、フランス座の経営難やコントコンビを組む予定だった相方の病気などが重なり、漫才の道に進むことを決意したようです。
漫才コンビを組んだものの、兼子さんがツッコミで掛け合い漫才をしていた頃は全く芽が出ませんでした。ですが、キャバレー周りに営業に行った際、武さんが酔ったお客さん相手に喧嘩をしていたことから「暴走ネタ・危険ネタ」確立していったようです。また、ボケ・ツッコミの役割もこの頃入れ替わりました。
上の画像は1980年(当時33歳)、漫才ブームが始まった頃のツービートです。コンビ名は、松鶴家二郎・次郎、空たかし・きよしの改名を経てツービートに落ち着きました。
彼らのネタは「不謹慎ネタ」と言われ、批判を受けることもありましたが、武さんは「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけ、さして気にしていなかったようです。
引用元:TBSチャンネル
1982年~84年(当時35~37歳)に弟子志願者(たけし軍団)が相当数集まったことから、北野武さんは「集団で行うバラエティ」を模索し始めました。
「たけし城」 「元気が出るテレビ」 「スポーツ大将」は武さん本人の企画・構成によるものとなっています。博識が評価され、文化人枠での出演が増えたのもこの頃です。
また、武さんはテレビ以外にも歌手としての活動、文学小説の出版、ファミリーコンピュータのゲーム企画など芸人の枠を超えた分野での活躍も見せました。
そうして、武さんは明石家さんまさん・タモリ(森田一義)さんと共に「日本のお笑いタレントBIG3」と称されるようになったのです。
1983年(当時36歳)には、「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)に俳優として出演し、「自分の演技がひどすぎる」と滅入りながらも「本作の出演を機に自身も映画監督を始めようと思った」とも語っています。この作品は武さんにとって今でも大切なものとなっているようです。
上の画像は1986年(当時39歳)に放送していた「風雲!たけし城」(TBS)のものです。
この番組では武さんは「たけし城」の殿というキャラクターになっています。今でもたけし軍団や武さんを慕っている後輩芸人からは「殿」の愛称で呼ばれているようです。総工費1億円をかけたという「たけし城」…圧巻ですね!
引用元:日刊ゲンダイ
1986年12月9日(当時39歳)に、武さんは週刊誌FRIDAY(講談社)の編集部を襲撃し、住居侵入罪・器物損壊罪・暴行罪の容疑で現行犯逮捕されました。
ことの発端は、武さんと交際していた女性に記者が強引な取材を行い、怪我をさせてしまったことです。行き過ぎた取材が問題視され、当時を代表する大事件となりました。
連行される際、武さんは襲撃に同行した軍団員に対し「悪かったな、おまえら」「おまえらの面倒は一生見るから」「おれ、ドカタしてでも、おまえらを絶対食わせるからな」と語ったとされています。
暴行事件を起こしてしまったのは悪いことですが、武さんの漢気が感じられる発言だと思いました。上の画像は同年12月22日に開かれた逮捕後初の記者会見で撮られたものです。
暴力をふるった行動そのものは反省しつつ、自分の大事なものは守るという信念は曲げない姿勢を見せたこの会見は、謝罪会見のお手本として現在でも何か不祥事があるたびに比較対象として注目されるものとなりました。
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北野武さんのフライデー襲撃に同行したたけし軍団のメンバーには誰がいるんだろう?
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それは、ガダルカナル・タカさん、そのまんま東さん、ダンカンさんを含む合計11人で行ったみたい。ラッシャー板前さん、井出らっきょさん、つまみ枝豆さんは不参加だったんだって!
40代(1987年~1997年)
引用元:松竹
北野武さんは、1987年6月25日(当時40歳)にラジオ番組「たけし軍団のオールナイトニッポン」の終盤30分に乱入する形でメディア復帰しました。
同年7月12日にテレビ番組「スーパーJOCKEY」の生放送でテレビ復帰を果たしました。この回は番組史上最高視聴率の20.5%を記録しています。
そして、テレビ復帰から2年後の1989年(当時42歳)に映画監督・北野武としてのデビュー作「その男、凶暴につき」が公開となりました。
後にこの時のことを武さんは、「あんなに大変な仕事はあるのかと思った」と振り返っており、テレビの仕事との両立が難しいものだったことが確認できます。
上の画像は「その男、凶暴につき」のポスタービジュアルです。当初は監督は深作欣二さん 、主演は北野武さんで映画化する予定でしたが、条件やスケジュールが合わず深作さんが辞退されたため武さんが監督も主演も併せて引き受けることになりました。
その後、翌年に監督2作目の「3-4X10月」を公開しました。この作品から脚本も兼任し、映画監督としての本格的な活動を開始します。
また、4作目となる「ソナチネ」ではカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で出品されたり、ロンドン国際映画祭に招待されたりしています。この評価が「世界のキタノ」の足掛かりになりました。
引用元:週刊女性PRIME
北野武さんは、映画監督として波に乗り始めた1994年8月2日(当時46歳)に原付バイクで自損事故を起こし、酒気帯び運転だったため書類送検され、起訴猶予処分を受けました。
偶然近くにいた第1発見者の諸星和己(光GENJI)さんの通報で一命は取り留めたものの、長期の入院となり半年間はテレビに出れなかったようです。
退院時に行った会見では顔面に麻痺が残った状態で記者たちの前に現れ、大きな反響を呼びました。大変な事故だったにもかかわらず、「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」 「顔面麻痺が治らなかったら芸名を顔面マヒナスターズにしますから」と自らの怪我をネタにしていて、芸人魂を感じるエピソードとなっています。
上の画像は退院時に行った会見の時に撮影されたものです。顔が大きく変形した状態での会見だったことがわかります。顔面麻痺は退院後も継続したリハビリのおかげである程度回復し、今では一部を残すのみとなったようです。
引用元:東スポWEB
衝撃の事故から2年後の1996年(当時48歳)には「キッズ・リターン」を発表し、カンヌ国際映画祭監督週間部門にも招待され、バイク事故からの復活を印象付けています。
その翌年には、「HANA-BI」が第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本作品としては約40年ぶりとなる金獅子賞を受賞しました。
この時、武さんは「異分野出身者でも大きな賞を取れると示すことができ、これから映画を目指す者に刺激になったと思う」と語っています。
帰国後の記者会見では現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア(約280円)を披露し、笑いをとりました。映画監督と芸人の両立が感じられる面白いエピソードですね!
上の画像は本物の金獅子像を手にピースサインを掲げる武さんです。
金獅子賞を受賞した「HANA-BI」では、娘・井子さんが無名の少女としてラストシーンに登場しています。タイトルはスタッフが考えたもので「HANA(花)=生」と「HI(火)=死」という意味があるようです。
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武さんはどうして「HANA-BI」のタイトルをスタッフさんに任せたのかな?
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武さんが考えたタイトルが「たけし7作目」というもので、スタッフがクレームを入れたみたい。それで、仕方なく任せてみたら「HANA-BI」を提案されたんだって!素敵なタイトルだよね。
50代以上(1997年~)
引用元:Amazon
北野武さんは、1997年に「HANA-BI」で金獅子賞を受賞した後も精力的に監督業を続けています。1999年に「菊次郎の夏」 、2000年に「BROTHER」とコンスタントに映画を作り続け、2003年(当時56歳)の「座頭市」では銀獅子賞(監督賞)を受賞しました。
そして、2007年(当時60歳)で作った「監督・ばんざい!」でヴェネツィア国際映画祭のジャガー・ルクルト・グローリー・トゥ・ザ・フィルムメーカー・アワードを受賞しました。
この賞は2007年に作られたもので武さんが第1回の受賞者ということで、日本では「監督・ばんざい!賞」と呼ばれています。上の画像は「監督・ばんざい!」のポスタービジュアルです。
武さんが監督を務める13作目の映画となっていて、自身の映画に対する思い入れを込めたコメディ映画となっています。同じくお笑い芸人であるダウンタウン・松本人志さんの初監督作品「大日本人」と同日公開ということでも話題を集めました。
引用元:サンスポ
北野武さんは、2010年(当時63歳)にヤクザ映画「アウトレイジ」、2012年(当時65歳)に「アウトレイジ ビヨンド」2017年(当時70歳)に「アウトレイジ 最終章」を公開しました。
キャッチコピーは「全員悪人」で、武さん演じる昔気質の武闘派ヤクザ・大友を主人公とした作品になっています。
武さんの映画には、暴力団が多く登場していますが「暴力団を賛美した表現をしたことはなく、拳銃を使った人間は幸せになれないようなシナリオにしている」とお話しされており、あくまでキャラクター設定として扱っていることが確認できます。
2023年11月23日(当時76歳)には、2019年に自身が執筆した小説「首」の映画を製作し、その総製作費は15億円とも言われています。
70代となっても芸人・監督・俳優としての勢いはとどまることを知らず、2024年(当時77歳)には最新作「Broken Rage」が発表されました。上の画像は「Broken Rage」のポスタービジュアルです。
この映画は前半後半に分かれており、前半は殺し屋が生き残りをかけて奮闘するアクションで、後半は同じ物語をコメディタッチでセルフパロディーするという新しい構成になっています。年齢を感じさせず、新しいことに挑戦していく姿がかっこいいです!
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北野武さんの映画には、どんな特徴があるのかな?
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歩くシーンが多い、セリフが少ない、緊張の中に突如織り込まれるギャグが特徴的だと言われているみたい。シリアスな場面だったのに突然ギャグ要素が入るところがコントみたいで面白いよね!
北野武さんが所属する”T.Nゴン”には他に誰が所属してる?
引用元:ORICON NEWS、浅草経済新聞
北野武さんの所属するT.Nゴンには、お笑い芸人・構成作家の〆さばアタルさん、お笑い芸人・俳優・構成作家のアル北郷さんが所属しています。お2人は武さんのライブの企画・構成を担当されているようです。
【画像】北野武と再婚した嫁の馴れ初めは?娘は現在何してる?
北野武と再婚した嫁の馴れ初めは?
引用元:女性自身
北野武さんは、1980年(当時33歳)に漫才師・北野幹子(旧姓:松田)さんと結婚しましたが、結婚直後から月に何度か一緒にご飯を食べる程度の「ほぼ別居婚状態」だったそうです。
それでも、漫才師として同志だったお2人は婚姻関係を継続していましたが、2019年6月(武さん当時72歳・幹子さん当時68歳)に離婚を発表しました。
2012年頃、武さんは知人のアパレル会社社長に呼ばれた酒席でAさんと知り合い、怯まずにずけずけと話すAさんを気に入った武さんは前妻・幹子さんと別居婚状態とはいえ まだ婚姻関係にあった2013年(当時66歳)に18歳年下のAさん(名前は非公表)との交際を始めました。
2015年(当時68歳)にお2人は個人会社「T.Nゴン」を設立し、2018年(当時71歳)に所属事務所「オフィス北野(現TAP)」を退社してからは、Aさんが武さんのマネジメントを担い始めました。
そして、幹子さんとの離婚を発表した翌年の2020年2月(当時73歳)にAさんと7年間の交際の末、再婚されています。芸能界では最高齢クラスの結婚となっています。
武さんは著書でAさんとの生活に触れており、「食事にも気を使ってくれるし、最近なんか、朝起きりゃ、寝たまんまパンツをはかせてくれて“はい、いってらっしゃい”みたいな感じ」と語っています。
今もなお厳しいお笑い界や映画界の最前線を突っ走っている武さんには、Aさんの包み込むような母性が必要なのかもしれないですね!
上の画像は2023年5月23日(当時76歳)、「第76回 カンヌ国際映画祭」で撮られた武さんとAさんの写真です。Aさんが公の場に姿を現すのは今回が初めてで、Aさんは武さんに寄り添い、時折手を繋ぐなど親密な様子だったようです。
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武さんの前妻・幹子さんはお2人のことをどう思っているんだろう?
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幹子さんは「女性自身」から取材を受けた際「おめでたいことですからね。『結婚おめでとう』でいいんじゃないですか」と話していたみたい。懐が深くて、かっこいい女性って感じだよね!
北野武の娘は現在何してる?
引用元:デイリースポーツ
北野武さんの娘・北野井子(きたの しょうこ)さんは、1982年10月5日(武さん当時35歳)に武さん・幹子さんの間に生まれました。兄はCMプランナーの北野篤さんで、名前の“井子”は武さんの知人の美人ホステスにちなんで付けられたと言われています。
1997年(武さん当時50歳・井子さん当時15歳)に武さんの映画「HANA-BI」に出演して芸能界デビューを果たしました。
当時は母・幹子の旧姓を冠した松田井子を芸名にしていたようです。これは、武さん夫婦が離婚を考えていたことやフライデー襲撃事件で前科がついてしまったため北野姓では印象が悪くなってしまうからという理由だったそうです。
引用元:Amazon
1998年6月(武さん当時51歳・井子さん当時15歳)にはX JAPAN・YOSHIKIプロデュース・楽曲提供の「Begin」で歌手デビューを果たしました。
この時は本名の北野井子名義での活動を決めたようです。同曲は13万枚も売れ、ロッテ「シュガーレスガム」のCMソングとしても広く知られるようになりました。
しかし、メディアに積極的に出演することはなく、2ndシングル「薔薇と緑」も同年10月にリリースしましたが、振るわなかったようです。そして、井子さんは1999年1月(武さん当時52歳・井子さん当時16歳)に芸能活動の一時休業を宣言し、アメリカへの留学を決めました。
私生活では、2004年(武さん当時57歳・井子さん当時22歳)に調理師の男性と結婚し、同時に妊娠6か月であることもわかりました。
翌年3月9日に女児を無事出産しましたが、旦那さんとはのちに離婚したようです。子どもは井子さんが引き取り、武さんと養子縁組をしています。
その後、2005年(武さん当時58歳・井子さん当時22歳)に井子さんは映画「有限会社ひきもどし」(9月10日公開)で主演を務めましたが、以降は目立った芸能活動をしていないようです。
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北野武さんは、どうして井子さんの娘さんを養子にしたのかな?
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メディアでは節税対策ではないかと言われていたけど、武さんほどになると養子を1人迎えたぐらいではさして節税には繋がらないみたい。
井子さんの心理的負担を減らすためじゃないかとも言われてるよ!
北野武のプロフィール・SNS
引用元:東京新聞
プロフィール
- 名前:北野 武(きたの たけし)
- 芸名: ビートたけし
- 生年月日:1947年1月18日
- 年齢:78歳(2025年2月現在)
- 出身地:東京都足立区島根
- 血液型:O型
- 特技:タップダンス、ピアノ、ギター
- 所属事務所:T.Nゴン
- 学歴:明治大学工学部中退(のちに特別卒業認定)
SNS
- オフィシャルサイト URL:https://takeshi-kitano.jp/
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北野武さんはSNSは全然やっていないのかな?
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オフィシャルサイトしかないみたいだね!
このサイトも「みんなから『ホームページは無いのか』とよく聞かれるから、しょうがなく作った」みたいだよ!