世界最大のファッションショーであるパリコレで活躍し、世界中の人々から東洋の神秘と称賛された伝説のモデル、山口小夜子さん。
日本の元祖スーパーモデルとも称された山口小夜子さんですが、その人生は数多くの謎に包まれていました。
今回は山口小夜子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】山口小夜子は若い頃伝説のパリコレモデル!
10代・20代(1959年~1979年)
引用元:X#山口小夜子 #一日一小夜子
— snowhino (@snowhino9) May 6, 2024
16歳の時の小夜子さん。 pic.twitter.com/bHKKcknhU2
山口小夜子さんは1949年9月19日、神奈川県横浜市で生まれました。洋裁が得意な母の影響で小さい頃から洋服好きで、当時最先端だった海外のファッションを真似て母が作った洋服を着用していたそうです。
中学卒業後は、京浜女子大学横浜高等学校を経て杉野学園ドレスメーカー女学院に入学、ファッションを学びました。
上の画像は山口さんが16歳の頃の写真です。何かの雑誌に載った時のものかと思います。まだ16歳というあどけなさも残っていますが、表情が凛としていてすでにオーラが感じられます。私達がイメージする黒髪おかっぱ、切れ長の目というイメージとは違いますが、顔立ちが整っていてとても綺麗です。
卒業した1970年(当時21歳)当時、日本はハーフモデル全盛期だった事もあり、黒髪に切れ長の目という容姿の山口小夜子さんはフィッティングモデルなどの小さい仕事しか回ってきませんでした。
数々のオーディションを受けるも落とされ続け、モデルを辞めようか悩んでいた時に出会ったのが、当時ファッション業界で活躍していたデザイナーの山本寛斎さんでした。
山本寛斎さんに見出された山口さんは、1971年(当時22歳)にプロのモデルとしてデビューします。それをきっかけに高田賢三さんや三宅一生さんなど名だたる有名デザイナーのショーに出演し、世間の注目を集めていきました。
そして1972年(当時23歳)、世界最大のファッションショーであるパリコレクションに参加、次いでニューヨークコレクションにも出演を果たしました。
こうして山口さんの特徴である黒髪おかっぱ頭と切れ長の目というスタイルが、当時多数を占めていたモデル達とは一線を画す東洋的な美しさを醸し出し、世界を舞台に活躍する日本人モデルの先駆けとなったのです。
引用元:amazon
上の画像は1972年頃(当時23歳)、山本寛斎さんのファッションショーに出演した時のものかと思います。本格的にモデルとして活躍し始めた時だと思いますが、山口小夜子さんの代名詞である黒髪おかっぱがファッションを際立たせていてとても素敵です。この頃山口さんは初めてパリコレにも出演を果たしました。
日本人らしさを前面に押し出すヘアメイクでランウェイを歩いた山口さんは、当時のファッション業界で一躍脚光を浴びたといいます。そして白人モデルの間で小夜子メイクが流行っただけでなく、彼女に似せた「SAYOKOマネキン」が欧米の有名デパートのショーウィンドウを飾ったそうです。
引用元:X#山口小夜子 #70sファッション
— 古書ベリッシマ (@Bellissima1951) October 8, 2023
『アサヒグラフ』1974年2月8日号
山口小夜子さんのグラビアが素晴らしいです。
ページを開けば70sムードがお部屋に漂います。 pic.twitter.com/9TblarqAEa
上の画像は1974年2月に発売された雑誌の1枚です。ベッツイ・ジョンソン、エマニュエル・ウンガロをはじめとする海外ファッションに身を包んだ山口さんです。25歳頃かと思いますが、カラフルなお花に負けない山口小夜子さんの存在感が凄く、見入ってしまいます。
引用元:X#山口小夜子 #一日一小夜子
— snowhino (@snowhino9) July 12, 2024
このニットと帽子!今も新鮮なファッションの小夜子さん。 pic.twitter.com/7lchU6fKPK
引用元:X“@BlackXjs: 1973年の山口小夜子さん(パリにて) http://t.co/XnQkMywDFV”アーかわゆい…
— いわもとちぐさ (@chigcha081) February 24, 2015
上のX投稿1つ目は1974年頃に発売されたポスターの写真で、洋服は山本寛斎さんのもの、2つめの右上写真はファッション誌での1コマで、どちらも20代半ばくらいかと思います。
パリコレやファッションショーなどでのクールなメージが強い山口小夜子さんですが、カジュアルな服装も新鮮でいいですね。年代的には昔ですが、今の時代でも古く感じない表情やポージングは、山口さんの醸し出す雰囲気やセンスでしか出せないものでしょうね。
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色々な服を着こなす山口さんだけど、自分の事をモデルとは呼ばなかったらしいね。
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そうなの。山口さんは自身を「ウェアリスト(着る人)」と名乗っていて「私は何でも着られる。空気も水も、そして映像や音楽だって着られる。」と言っていたよ。服だけではなく、「着る事」を大切にしてきた山口さんだからこそ出てくる言葉な気がするね。
30代(1979年~1989年)
引用元:instagram
上の画像は1980年、山口さんが31歳ころの写真です。これは写真家でデザイナーのセルジュ ルタンスさんが撮影した山口さんの写真です。セルジュ ルタンスさんは、さまざまな分野で独自の美を生み出し続ける「フランスの知性、哲人」とも称されるアーティストです。
セルジュ ルタンスさんが起用するモデル達は、顔立ちはもとより性格から思考の細部に至るまで吟味されるそうで、山口さんはその当時の事を振り返って次のように語っています。
「作品に登場するモデル達は撮影の一週間前から花で溢れた部屋で過ごし、薔薇の花びらのスープやサラダを食べてルタンスの世界を体現する為の準備をした、長時間にわたる撮影にモデルが気絶した」
ルタンスの美へのこだわりが凄まじい事が分かります。山口小夜子さんにとって、このセルジュ ルタンスさんの美に対する向き合い方は、その後の山口さんのモデル人生にも影響を与えた事でしょう。
引用元:毎日新聞
上の画像は1982年に開催されたファッションショー「三宅一生+高田賢三ーー出会いと燃焼」で打ち合わせをする山口小夜子さんとファッションブランド「KENZO」のデザイナーの高田賢三さんの写真です。当時山口さん33歳の時です。
「モデルの中でも1番輝いていたんじゃないでしょうか。もう何しろ神秘的。何を食べて息をどういう風に吸っているんだろう。そういう感じです。すごい静と動の表現ができる人。メリハリがある。」
ファッションショーなどで何度も共演しているお2人ですが、高田賢三さんは山口さんをそう絶賛しており、数多くいるモデルの中でも別格だと語っていました。
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山口さんの特徴でもある切れ長の目だけど、素顔はどんな感じなのかな?
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実は素顔はぱっちり二重瞼なんだって。以前撮影アシスタントをしていた人が間近で観察したみたいなんだけど、パッチリとした可愛い二重だったみたいだよ。
広告や雑誌のあのイメージは作られたもので「二重まぶたを一重に見せた」のが山口小夜子さんだそう。 メイクの可能性を広げたと言っても過言ではないよね。
40代以上(1989年~)
引用元:YouTube
上の画像は1995年に行われたパリコレの動画です。山口小夜子さんは当時46歳ころかと思います。
三宅一生さんの衣装を身に纏ったモデルさんが多数出演する中、1分40秒辺りから目を引くダンスで登場するのが山口さんです。周りのモデルさんとも引けを取らないスタイルで見る人を惹きつけています。
コレクションで山口さんは何枚も衣装を変えて登場するのですが、不思議な事に他のモデルさん達とは全く違うオーラが感じられるのです。山口さんが登場すると拍手が起こり、見ている人達がどれだけ注目しているかが伺えます。
引用元:YouTube
上の画像は2015年に公開された山口小夜子さんのドキュメンタリー映画「氷の花火」の映像です。山口小夜子さんが突然の死を遂げてから8年後、山口さんのドキュメンタリー映画が公開されました。
彼女が大切にしていた膨大な数の服やアクセサリー等の遺品を開封し、モデルとして着るだけではなく、「衣で異を創る」山口小夜子さんの止まった時間が動き出します。
今まで触れることのできなかった部分に触れながら、なぜモデルの道に進むことになったのか、トップモデルとしての階段を駆け上がっていく中でどんな苦労があったのか、様々な視点から考えていく内容になっています。
常に時代の最先端に居続ける努力を続け、表現者として妥協を許さなかった山口さんはどこを目指していたのでしょうか。
生前、山口さんと交友のあった松本貴子監督が、彼女と親交のあった人々の証言を集め、このドキュメンタリーを通して山口小夜子さんという人間のまだ見ぬ姿を探し出す番組になっています。
遺品は山口さんを大切に思う人たちによって大事に管理されていたのだそうですが、松本貴子監督が無理を承知で「遺品に深呼吸させてあげたいんです」とお願いして実現したのだそうです。それだけ山口さんを思う人達によって創られたこの映画は、今後も様々な場面で語り継がれていくに違いありません。
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山口さんは、自身の特徴的なメイクについて語っていた事があるけれど、どんな事を言っていたんだろう。
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そうだね。山口さんは日本人の顔立ちについて「日本人は目が細いのが欠点と思いがちだけれど、それは欠点ではなく特徴だと思うのです。日本人にいちばん合うメイクアップは、結局、日本人の昔からの化粧法ではないかということです」と語っているよ。
山口さんの代名詞である切れ長のアイメイクは、日本人の特徴を最大限に生かし、日本人である事をアピールしたメイクだという事だよね。
【画像】山口小夜子の夫は山本寛斎?死因は何?
山口小夜子の夫は山本寛斎?
引用元:スポニチ
引用元:YouTube
上の画像1枚目は山本寛斎さんと山口さんの2ショット、2つ目の映像は1984年(当時35歳)に開催された山本寛斎さんのファッションショー「寛斎元気主義」に山口小夜子さんが出演した時の動画です。
山口さんは生涯独身を貫きましたが、実は世間の人たちの間で恋人関係だったのではと噂されていた人物がいました。
その人物というのがファッションデザイナーの山本寛斎さんです。山本寛斎さんといえば、世界的にも有名なデザイナーであり、山口さんを一流モデルの道へと導いた恩人と言える人物です。
業界でお2人の交際説は有名だったようですが、お2人の関係はあくまで噂であり、プライベートで一緒にいる所をカメラで撮られている訳ではないのです。ファッションデザイナーとモデルが愛人関係になる事は多々あるそうなのですが、山口さんが寛斎さんの愛人だったことはいまだに謎のままで、はっきりとした事は分かっていません。
いつかの取材で山口さんは寛斎さんの事を「私は寛斎さんに拾われたの。もしもあの時寛斎さんのオーディションに行っていなかったら、私はモデルを辞めていた。」と語っています。
この言葉から、山口さんは寛斎さんへの感謝の気持ちがとても大きいという事が分かります。この噂の真相は本人達にしか分かりませんが、1つ言えることがあるとすれば、山口さんと寛斎さんはお互いに信頼しあい、仕事上でも欠かせない間柄だったという事でしょう。
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山本寛斎さんには奥さんと子供がいたんだってね。
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そうなの。奥さんは一般人みたいで情報はほとんどないんだけど、娘さんがいて、その娘さんというのが女優としても活動している山本未来さんなんだよね。
山口小夜子の死因は何?
引用元:marieclaire
引用元:X山口小夜子さん生前最後の写真。この10ヶ月後に亡くなったんだって…美しい。 pic.twitter.com/jEoQ7ehmXy
— kinoppy (@kinoppy_s) December 6, 2019
上の画像1枚目は2005年(当時56歳)、銀座のHOUSE OF SHISEIDO で開かれた「セルジュ ルタンス… 夢幻の旅の記録」展に姿を現した山口さんの画像、上の画像2枚目は、生前最後に撮られた山口さんの写真です。
2007年8月14日、山口小夜子さんは急性肺炎の為、57歳という若さでこの世を去りました。
発見される3日前の17日夜、山口さんの自宅を訪ねた知人が部屋で倒れている山口さんを発見し、救急車で運ばれましたが病院で死亡が確認されたそうです。しかし詳しい検査の結果、すでに14日には亡くなっていたという事が分かったそうです。
独身だった山口さんは、誰にも気づかれる事なく1人で亡くなっていた事で、ネットでは当時「孤独死だ」と騒ぐ人もいました。
しかし、直前に出演していた映画「馬頭琴夜想曲」の監督である木村威夫さんによると、「一週間前に会った時には特に体調が悪い様子はなかった」と語っています。
その言葉から推測すると、今回の事は山口小夜子さん本人にとっても予期せぬ出来事だった可能性があります。そう考えると、とても悲しく、残念でなりません。生涯独身を貫き、身寄りのなかった山口さんの遺品は、親しかった人たちの手で大切に保管されたそうです。
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亡くなる前兆は何もなかったという事だけど、体にはとても気を遣っていたみたいだよね。
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そうなんだよね。食べ物には気を遣って、毎日朝食を欠かさず食べていて、和食中心だったみたい。一汁三菜を徹底していて、それにプラスしてビタミン剤を飲んでいたそうだよ。
そして毎晩ストレッチをして体の緊張を解してから眠るようにしていたみたい。元々体がとても柔軟で、「立ったまま楽に床に手が付くし足も自由に上がるくらい柔らかい」と語っていたよ。
山口小夜子のプロフィール・SNS
引用元:スポーツ報知
プロフィール
- 名前:山口小夜子(やまぐちさよこ)
- 生年月日:1949年9月19日
- 年齢:享年57歳(2007年8月14日逝去)
- 出身地:神奈川県
- 血液型:不明
- 趣味:洋服 音楽
- 特技:裁縫
- 所属事務所:オフィスマイティー
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/yamaguchisayoko
#富山 とその近郊の皆さま〜〜〜
— 映画『氷の花火 山口小夜子』 (@yamaguchisayoko) March 30, 2024
素敵なイベントが開催中❣️
フォトグラファー の #横須賀功光 と小夜子さんの独自の美意識を「新世界」として編集‼️必見ですよ。#モデル #ファッション #メイク #写真https://t.co/V2tm3A3SHw
- Instagram URL:https://www.instagram.com/yamaguchisayoko/
- facebook URL:https://www.facebook.com/sayoko.yamaguchi.315/
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山口さんは裁縫が得意だったそうだけど、何を作っていたのかな?
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杉野ドレスメーカー女学院卒の山口さんは、スクラップや裁縫、リメイクを施し、オリジナルものを創ることが好きだったんだって。遺品の中にも手作りの貴重な品々がたくさんあったみたい。