【画像】岡田茉莉子は若い頃美人!ハーフなの?夫との馴れ初めは?

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日本の女優や映画プロデューサーとして活躍を続けている岡田茉莉子さん。

松竹では数多くのメロドラマに主演し、有馬稲子さんと「松竹の2枚看板」と称されるほどの活躍をされてきました。若い頃は派手な顔立ちはっきりした物言いで気の強い女性役を演じることも多かったですが、歳を重ねるごとに様々な役柄に挑戦し、多くの話題作に出演されました。

今回は岡田茉莉子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】岡田茉莉子は若い頃美人!

幼少期・10代(1933年~1953年)

引用元:X

岡田茉莉子さんは、戦前の無声映画で活躍した二枚目俳優の岡田時彦さんと、宝塚歌劇団卒業生で歌役をつとめた田鶴園子さんの間に生まれました。

岡田茉莉子さんが生まれた翌年、父である岡田時彦さんは結核で亡くなり、その後は母・田鶴園子さんと2人で過ごしてきました。幼少期は病弱だったこともあり、おとなしい性格だったそうです。

上の画像は0歳のころの岡田茉莉子さんと岡田時彦さんを写したものです。岡田時彦さんの表情に愛情を感じますね!

引用元:X

岡田茉莉子さんの母・田鶴園子さん1938年(茉莉子さん当時5歳)から中国・上海でダンス教師をしており、茉莉子さんとは離れて暮らすことになりました。

その間、田鶴園子さんの実家で過ごしていた岡田茉莉子さんですが、祖父が亡くなり、母親のいる上海に転居します。ですが海外の暮らしに馴染めず、単身帰国して、東京都品川区の公立小学校に通います。

その後、岡田茉莉子さんは2度の集団疎開を経験しています。

そして、高校時代には演劇部に入部し、友人と映画館で映画『朧の白糸』を観た日、帰宅後、母にそのことを伝えると、母が泣き出し、同作の主演俳優である岡田時彦さんが自分の父であることを知らされたそうです。

この当時のことについて岡田茉莉子さんは、「父」の顔をもう一度見るため、そして、「父」としてその演技をもう一度確認するために翌日、再び映画館を訪れたとお話しされていました。

岡田茉莉子さん
引用元:Filmarks

岡田茉莉子さんは、1951年(当時18歳)の時に、東宝ニューフェースの第3期生として東宝演技研究所に入所しました。入所して20日後、映画『舞姫』の準主役に抜擢されて女優デビューを果たします。

この当時のことについて岡田茉莉子さんは以下のようにコメントしています。

「私は撮影所に行くのが憂鬱で、この1本に出たらもうここに来なくてすむと、毎日自分に言い聞かせていました。ところが撮影が終わる頃には、次の作品が決まっており――そこで、覚悟を決めたのです。これからは人見知りで内気な田中鞠子を封印し、意志の力で《女優・岡田茉莉子》を演じよう、と。」

引用元:婦人公論

上の画像は『舞姫』のDVDのジャケットに使われた写真です。とてもきれいな顔立ちをされていますね!デビュー作で準主役という重圧も大きかったと思われますが、そんなことも感じさせない表情です。

ギモンくん

岡田茉莉子さんの芸名はどのように決まったのかな?

カイケツさん

作家の谷崎潤一郎さんが「お父さんの芸名をつけたのだから君の名前も私がつけましょう」と言ってつけてもらったそうよ!
漢字はいくつかもらった選択肢から岡田茉莉子さんが選んだみたい。

20代(1953年~1963年)

岡田茉莉子さん
引用元:映画女優 岡田茉莉子

岡田茉莉子さんは、1957年3月(当時24歳)の時に、フリーとなり同年9月に松竹エンタテインメントと専属契約をしました。松竹では様々なメロドラマへ出演し、有馬稲子さんとともに松竹エンタテインメントの2枚看板として大活躍しました。

この時岡田茉莉子さんが東映を離れたのは、映画スターとしての自分を意識し、自らの手で道を切り開こうとする現れだったようです。東映ではインパクトが強く、奔放で気が強い女の役ばかり与えられており、そのイメージから脱却すべく撮影所長室に直談判へ行ったそうです。

上の画像は松竹エンタテインメントへ移動してから出演した映画『土砂降り』の時のものです。お綺麗なままですね。

岡田茉莉子さん
引用元:松竹

岡田茉莉子さんは、1960年(当時27歳)の時に、父の盟友であった小津安二郎さんの監督映画『秋日和』に出演しました。それ以降、当時の名監督たちの作品に複数出演しました。上の画像は映画のポスターです。

この映画は、娘の結婚と母の再婚を巡ったいざこざをユーモラスに描いた作品です。また、岡田茉莉子さんは、「小津監督は父のことを『あんな名優は2度と出ない』とまで言ってくださいました。それ以来、岡田時彦は私の目標であり、ライバルとなったのです」と語っています。父の背中を追いかけた女優人生ともいえるのですね。

岡田茉莉子さん
引用元:映画女優 岡田茉莉子

岡田茉莉子さんは、1962年(当時29歳)の時に、映画出演100本記念作品として映画『秋津温泉』で主役を務めました。この作品では、岡田茉莉子さん自身が企画し、監督、キャストを決めて良いが、プロデューサーとして予算も含めて全責任を持つという条件が課せられていました。

上の画像は映画のワンシーンです。岡田茉莉子さんは旅館の娘を演じました。

岡田茉莉子さんは、少女時代から読書家であり、藤原審爾さんの小説『秋津温泉』について、「初めてこの小説を読んだ時から、いつか映画化できたらと心の中で温めていた」とお話しされており、思い入れのある作品であったことが伺えます。

その後、吉田喜重さん監督をお願いし1度は断られたものの、直接の説得の甲斐あって引き受けてもらえたそうです。結果、『秋津温泉』は大ヒットし毎日映画コンクール女優主演賞など様々な賞を受賞しました。

しかし、岡田茉莉子さんは受賞の祝賀パーティーで引退を表明しようと思っていたそうです。女優として10年のキャリアと、今作で数々の賞を受賞したことで満足し女優引退を決意したのだとか。

ですが、その場に居合わせた吉田喜重さんの「あなたは青春をすべて映画に捧げてきました。辞めてしまってはもったいないとは思いませんか?」という言葉で、あっさり引退の表明をやめたそうです。

ギモンくん

当時、岡田茉莉子さんがプロデュースした作品は、『秋津温泉』だけ
だったのかな?

カイケツさん

秋津温泉』は2作目みたいよ!
1作目は『熱愛者』という作品だったみたい。でも、100%満足はできていなかったから捲土重来を望んでいたとお話ししているわ。

30代(1963年~1973年)

岡田茉莉子さん
引用元:映画.com

岡田茉莉子さんは、1963年(当時30歳)の時に、吉田喜重さんと婚約を発表しました。馴れ初めは後述します。

その後岡田さんは、松竹とは1965年(当時32歳)に2本のみの本数契約として、事実上フリーになりました。翌年(当時33歳)の時に夫である吉田喜重さんと独立プロダクションである「現代映画社」を創立し、映画『女のみづうみ』を発表しました。

上の画像はそのものです。裸体のフィルムが暴漢に奪われ見知らぬ男から脅迫を受け、いわれるがままに旅に出ている人妻の不安をうまく描いています。

現代映画社」では、岡田茉莉子さんを主役に11本もの人間の深部に迫る、前衛的で独自の映像世界を追求する知的な映画を創作していきました。

映画『女のみづうみ』もそのうちの1本で、川端康成さんの長編小説『みづうみ』をベースに「水で書かれた物語」を制作した石堂淑郎さん、吉田喜重さん、大野靖子さんが共同で脚色した作品です。

岡田茉莉子さん
引用元:tower records

岡田茉莉子さんは、1970年(当時37歳)の時に、映画『エロス+虐殺』に出演しました。上の画像は映画そのものです。岡田さんは、関東大震災の直後、三角関係のもつれから大杉栄さんとともに刺され、わずか28歳で亡くなってしまった伊藤野枝さんを演じました。

本作は、吉田喜重さんの最高傑作ともいわれた作品で、1916年に実際に起きた殺傷事件、日蔭茶屋事件を題材にしたフィクションでした。

1970年代以降、映画が斜陽になっていきましたが、岡田茉莉子さんは映画出演を続けました。この頃のについて、岡田茉莉子さんは「私は黄金期の最後の光芒を経験できました。」と語っています。

ギモンくん

日蔭茶屋事件ってどんな事件だったのかな?

カイケツさん

思想家で社会運動家の大杉栄さんが、旅館「日陰茶屋」において不倫相手である伊藤野枝さんと密会を重ねていたの。
そのことに嫉妬したもう1人の不倫相手である新聞記者の神近市子に首を刺された事件みたいよ!

40代以上(1973年~)

引用元:X

岡田茉莉子さんは、1977年(当時44歳)の時に、映画『人間の証明』に出演しました。上の画像は映画のワンシーンです。この映画は現代映画社の製作ではない作品です。

この当時のことについて岡田茉莉子さんは、「私がよその映画やドラマに出演し、そのギャランティも製作費に回す。このやり方で、私たちは一度もお金を借りずに映画を撮り続けることができました。これは私の誇りです」とお話しされており、吉田喜重さんの製作を全力で支えていたことが確認できます。

岡田さんは本作でヒロインをほりの深い演技で痛切に演じました。

岡田茉莉子さん
引用元:ブックス

岡田茉莉子さんは、2009年(当時76歳)の時に、自伝『女優 岡田茉莉子』を出版しました。戦後の日本映画史を力強く生き抜いた岡田茉莉子さんの終わりなき物語が綴られた、600ページもの大作となっています。

この本を書き終えた岡田茉莉子さんは、「今は空虚ですね。からっぽです。全部書いてしまったという感じで、出すものは全部出しちゃったという感じです」とお話しされており、今まで通ってきた映画の歴史のすべてを詰め込んだことが確認できます。

上の画像は自伝『女優 岡田茉莉子』の表紙です。ハードカバー版の裏表紙は『エロス+虐殺』のワンシーンとなっているようです。

ギモンくん

女優 岡田茉莉子』にはどんな内容が書かれているのかな?

カイケツさん

芸名の名付け親についてや、父の話、幼少期には生意気にみられていじめられていたことなど、岡田茉莉子さんが自身のことを赤裸々にかいているみたいよ!

岡田茉莉子さんが所属していた”松竹エンタテインメント”には他に誰が所属してる?

森口 瑤子さん
片岡 愛之助さん
坂東 彌十郎さん
引用元:松竹エンタテインメント片岡 愛之助オフィシャルサイト坂東 彌十郎オフィシャルブログ

岡田茉莉子さんの所属していた松竹エンタテインメントには、女優の森口 瑤子さん、俳優の片岡 愛之助さんや歌舞伎俳優の坂東 彌十郎さんなどが所属しています。

【画像】岡田茉莉子はハーフなの?夫との馴れ初めは?

岡田茉莉子はハーフなの?

https://twitter.com/masa_gogo/status/593072483860807681
引用元:X
引用元:X

岡田茉莉子さんは、そのきれいな顔立ちからハーフなのではないかとも言われていますが、ハーフではありません

本記事冒頭でも触れましたが、岡田茉莉子さんは女優・田鶴園子さんと俳優・岡田時彦さんとの間に生まれました。
岡田時彦さんがなくなってから、田鶴園子さんが女手一つで子育てを行ったようです。

スタイルが良く、日本人離れしたお顔立ちなのでハーフと勘違いされることもあるようですが、純日本人のようですね!

ギモンくん

岡田茉莉子さんは、母・田鶴園子さんにどんな思いを持っていたかな?

カイケツさん

女優デビューの後、やめたいと話したこともあったようですが「母親を表札のある家に住まわせたい」という目標をかなえるため続けていたところもあるそうよ!

岡田茉莉子と夫の馴れ初めは?

引用元:X
岡田茉莉子さん 吉田喜重さん
引用元:婦人公論

映画『秋津温泉』の製作で岡田茉莉子さんのスカウトをきっかけに知り合った岡田茉莉子さんと吉田喜重さん

この作品の撮影の最中に「岡田茉莉子、吉田喜重と結婚を決意!」と『女性自身』がスクープをうち、憤慨もあったようですが、この記事をきっかけにお互いを意識するようにもなったとお話しされています。制作後も時間を作って会うようになり、お互いの話をするようになっていたようです。

プロポーズは吉田監督からだったそうで、『嵐を呼ぶ十八人』の撮影を終えた直後、「これからも私と一緒に歩いてくれませんか」という言葉だったようです。

岡田茉莉子さんは、この時のことについて「二人で映画を作りながら、ともに歩こうという意味に聞こえました」と微笑みながらお話しされています。

その後、お2人は師匠であった木下惠介監督の立ち会いの下、無事に西ドイツ(当時)で式を挙げ、新婚旅行にも行ったそうです。

しかし、2022年12月に夫・吉田喜重さんの体調が急変し救急車で病院へ向かいますが、そのまま帰らぬ人となってしまったようです。死因は肺炎だったそうです。岡田茉莉子さんは、「本当に彼は才能ある人で、素晴らしい監督でした」と言葉を贈っています。

ギモンくん

岡田茉莉子さんは、どうして吉田喜重さんをスカウトしたのかな?

カイケツさん

吉田喜重さんが27歳の時にデビュー作として書いた、『ろくでなし』の台本を読んで「底知れない才能が出てきた」と感嘆したのがきっかけのようよ!

岡田茉莉子さんがデビューした1951年はこんな年だった!

第1回NHK紅白歌合戦放送
五百円札発行
ラジオ東京開局
引用元:NHKアーカイブスPAKUTASO赤坂経済新聞

岡田茉莉子さんがデビューした1951年は、「第1回NHK紅白歌合戦放送」、「五百円札発行」、「ラジオ東京開局」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語は、パチンコの「親指族」やタクシーの「エントツ」などがありました。

岡田茉莉子のプロフィール・SNS

岡田茉莉子さん
引用元:女性自身

プロフィール

  • 名前:岡田 茉莉子(おかだ まりこ)
  • 本名:田中鞠子(たなか まりこ)
  • 生年月日:1933年1月11日
  • 年齢:92歳(2025年3月現在)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:A型
  • 趣味:旅行
  • 特技:日舞 社交ダンス
  • 所属事務所:フリー

受賞歴

毎日映画コンクール

  • 1958年:女優助演賞 『悪女の季節』
  • 1962年:女優主演賞『今年の恋』『秋津温泉』

キネマ旬報ベスト・テン

  • 1962年:主演女優賞『今年の恋』『霧子の運命』

日本映画批評家大賞

  • 1998年:ゴールデン・グローリー賞
ギモンくん

岡田茉莉子さんはとてもスタイルが良いけれど、運動されているのかな?

カイケツさん

吉田監督の生前は夫婦でスポーツジムでエアロビやジャズダンスに取り組んでいたそうよ!

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