弾き語りをメインに活動を行っているシンガーソングライターの山崎まさよしさん。
精力的にツアーを行うほか、全国各地のフェス・イベントへの出演、ミュージシャンとしてのセッション参加なども数多く行っています。また、杏子やSMAP、TOKIOらへの楽曲提供、ユニット"福耳"の結成、ドラマ・映画出演などマルチに活躍しています。
今回は山崎まさよしさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】山崎まさよしは若い頃好青年!
幼少期・10代・20代(1971年~2001年)
引用元:Instagram
山崎まさよしさんは、中学生の頃、本格的に音楽活動を始め、高校を卒業後には自動車メーカーで働きながらライブハウスで活動をするという日々を過ごしていました。
ライブハウス『Boogie House』に通い始めた時、どういったスタイルでやればいいのか悩んでいたそうです。
そんな時、ライブハウスのマスター森永正志さんに「ブルースはどうか」と勧められ、Lightnin’ Hopkins(ライトニン・ホプキンス)が入ったカセットテープ渡されたそうです。
それを聴いた山崎まさよしさんは、非常に感銘を受け、ギターの弾き語りと作詞・作曲、いわゆるシンガーソングライターとしての活動を本格的に始めるようになります。
上の写真は、デビュー前、20歳の頃の写真です!今と全く変わらない、山崎まさよしさんにしか出せない雰囲気ですね!かっこいいです!
引用元:Amazon music
1991年(当時20歳)、プロの歌手となるため、キティ・フィルムが主宰するオーディションを受けます。しかし、このオーディションは新人俳優を発掘するためのもので、山崎さんはレコード会社『キティ・レコード』と混同してしまったようです。
オーディションには1000人以上の応募があったにも関わらず、最終審査までに残ります。ちなみに、この最終審査の直前で、参加したオーディションが違うことに気づいたそうです。
しかし、オーディションには最後まで参加し、最終審査では自作の楽曲『Rough Rock’n Roll Boogie』『中華料理』を歌い、審査員からは「新人歌手のオーディションであれば間違いなく合格」と言わしめる程の高評価を受けました。
上の画像は披露したとされる『中華料理』のジャケット写真です。デビュー後セカンドシングルとしてリリースされています。
歌手のオーディションではないため、審査員特別賞に終わってしまいますが、歌える役者が欲しいという目的で審査員を務めていた「キティ・レコード」の音楽プロデューサーがスカウトを受けたそうです。
1993年春(当時21歳)に「キティ・レコード」と正式に契約し、上京します。上京直後はスカウトを行った音楽プロデューサーの家に居候をしていたようで、この時の音楽プロデューサーが、後の山崎まさよしさんのチーフマネージャーとなります。
引用元:KKBOX、UNIVERSALMUSIC
1995年(当時24歳)に山崎まさよしさんは、「ポリドール・レコード」と契約することが決まり、同年9月にシングル『月明かりに照らされて』でメジャー・デビューを果たします!
デビュー時のキャッチコピーは「天才より凄いヤツ」でした。
1996年2月にセカンド・シングルの「中華料理」、同年4月には、約2年のレコーディングを経て完成したファースト・アルバム『アレルギーの特効薬』をリリースします。
後にインタビューでは「ただ出せるだけで嬉しかった」と、アルバムリリースへの思い入れの深さを語っています。
また同年9月、後にSMAPがカバーすることになる「セロリ」をリリースします!これにより、山崎まさよしさんの名前が一気に知れ渡るようになりました!
デビューしてすぐから、こんなにも名曲を次々と世の中に出していく山崎まさよしさん。まさに、「天才より凄いヤツ」ですね!
引用元:映画.com
公式ファンクラブが発足された1997年1月(当時26歳)、初の主演映画である『月とキャベツ』が公開されました。そして、山崎まさよしさんの代表曲ともなった『One more time,One more chance』がこの映画の主題歌でもありました。
この曲は『君の名は。』で一躍有名となった新海誠監督の2007年公開アニメ映画『秒速5センチメートル』の主題歌にもなっていたり、2018年の映画『50回目のファーストキス』の挿入歌としても使用されています。
徐々にチャートを上昇するロング・ヒットとなり、一躍知名度が上がりました!年月が経っても、この曲が抜擢されるのは、それほど力のある素晴らしい曲だからですよね!最高です!
また、『月とキャベツ』は、群馬県の中之条町にある廃校になった中学校を使用した『伊参(いさま)スタジオ』というところで撮影し、その期間中、山崎さんはそこで寝泊りをしていたそうです。撮影時の衣装やスナップ写真などが飾られてあり、当時の落書きなどもそのまま残っています!
山崎まさよしファンにとっての聖地かもしれませんね。
その後もシングルやアルバムのリリースし続け、テレビ番組の企画ではアメリカに赴き、Honeyboy Edwards(ハニーボーイ・エドワーズ)といった大物ブルースマンとセッションをするなど、デビュー後の駆け上がりは凄まじいものでした。
同時に俳優としても、活躍していく山崎まさよしさん。マルチな才能には驚かされますね!

ライブハウスのマスター森永正志さんとは、デビュー後も師弟関係にあったらしいけど、お2人にはどんなエピソードがあるのかな?

後に、山崎まさよしさんの公式ファンクラブを立ち上げる際には、お世話になったライブハウスの名前『BOOGIE HOUSE』を使用しているんだって!愛が感じられるね!
30代(2001年~2011年)
引用元:YouTube
2002年(当時31歳)、番組の企画としてワールドライブツアー中のPaul McCartney(ポール・マッカートニー)を訪ね、本人の前でビートルズの『All My Loving』を弾き語りで披露しました!
しかし、あまりの緊張ぶりにマイナーコードを押さえるつもりがメジャーコードを押さえてしまい、ポールも称賛するとともに指摘していました。当時「もう1度やり直したいけど無理ですよね……全国のビートルズファンの皆さん、ごめんなさい」とかなりの落ち込みようだったようです。
世界のPaul McCartneyを前にしたら、どれほどの緊張をするのか。考えるだけで凄すぎます!羨ましすぎますね!
引用元:ユニバーサルミュージック
引用元:YouTube
山崎まさよしさんは2003年3月(当時31歳)、約2年ぶりにスタジオ・レコーディングされたシングル盤「全部、君だった。」をリリースし、DVDが一緒にパッケージングされた初回限定盤が初めて生産されました。
同年6月には、同じく2年ぶりとなるアルバム『アトリエ』リリースし、アルバムのジャケットでは山崎まさよしさん自身の写真は使用されず、本人が描いた自画像が使用されています。
2004年4月(当時32歳)には阪神・淡路大震災復興チャリティ・コンサートを開催し、8月には、歌手さだまさしさんが故郷の長崎県長崎市で開催している、平和祈念無料コンサート「2004 夏 長崎から さだまさし」へ初参加するなど、被災地への支援や平和祈念のイベントにも積極的に参加されました。
さだまさしさんと、山崎まさよしのお2人一緒の歌唱、ぜひ聞いてみたいですね!
引用元:TSUTAYA DISCAS
デビュー10周年を迎えた2005年(当時34歳)には、映画『8月のクリスマス』の主演に抜擢されました。写真屋を営む青年と近くの小学校に務める臨時教師との淡く悲しい恋模様が描かれた映画です!
この映画で山崎まさよしさんは、主題歌だけでなく、劇中音楽も手掛けています。また、同年にNHK紅白歌合戦に初出場しました!
シンガーソングライターとしてだけではなく、俳優としても活躍し、どんどん活動の幅を広げていきましたね!

2年ぶりに発売されたアルバム『アトリエ』は、どのようなアルバムに出来上がったのかな?

『アトリエ』は、山崎まさよしさんが、ひとつのスタジオに半年間こもって作られた作品なんだって!
独りで溢れる感情を閉じ込め、アコースティックギターと、歌との関係性を突き詰めて生まれた作品で、まさに名作だったね!
40代(2011年~)
引用元:映画.com
山崎まさよしさんはその後も精力的にライブ活動を行う中、2019年(当時47歳)には、横山秀夫さん原作の映画「影踏み」で14年ぶりに長編映画の主演を果たし、主題歌『影踏み』及び劇中音楽も担当しました!
監督は自身初の主演映画である『月とキャベツ』の篠原哲雄さんが務め、22年ぶりのタッグとなりました!
山崎まさよしさんは、この話をいただく少し前に、竹原ピストルさんに「山崎さん、もう役者をやらないんですか?」と聞かれ、「予定、ないわ~」と言っていたら、この話が舞い込んできたそうです!
また、共演した北村匠海さんは、「大先輩ですし、僕の家族ごとファンなくらいで!最初は、僕自身かなり緊張していたんです。」と語っていました。山崎まさよしさんは、世代を超えて愛されるシンガーソングライターなので、家族全員ファンということも多そうですね!
引用元:ナタリー
2024年5月17日(当時52歳) 公開の映画『ハピネス』に5年ぶりに出演しました!「ハピネス」も、「月とキャベツ」でメガホンを取った篠原哲雄監督で、3度目のタッグとなりました。
山崎まさよしさんは、余命わずかな娘を持つごく普通の父親を演じています。
この役について、「今まで僕が演じてきたのは特殊な役が多かったので、温厚な普通の父親役というのはめずらしくて(笑)。実際、僕も娘を持つ父親というのもあるのですが、演じながら本当に悲しくて泣いたのは初めての経験でした。」と思いを語っていました。
また、篠原哲雄監督の「山ちゃんに頼みたい」のひと言で出演が決まったそうで、山崎まさよしさんも「篠さんに頼まれたら、まず断ることはないですね。」と語っており、お2人の絆が感じられますね!
これからも、シンガーソングライターとして、俳優として、いろんな顔の山崎まさよしさんが見たいですね!

映画『ハピネス』で篠原哲雄監督は、初めから山崎まさよしさんにお願いすると決めていたのかな?

いつも主役をお願いしていたので、実は最初は思い浮かばなかったんだって!でもプロデューサーから、「山崎さんが近くにいるだろう」と言われ「なぜ今まで気づかなかったのだろうと。」と思ったらしいよ!
山崎まさよしさんが所属するオフィスオーガスタには他に誰が所属してる?
引用元:ORICINNEWS、オーガスタ、中日新聞
山崎まさよしさんの所属するオフィスオーガスタには、歌手の杏子さん、秦 基博さんやスキマスイッチさんなどが所属しています。
【画像】山崎まさよしと嫁の馴れ初めは?歌いたくなかったのはなぜ?
山崎まさよしと嫁の馴れ初めは?
引用元:SPICE
2010年3月(当時38歳)、ファンクラブ会員限定サイトで結婚したことを発表した山崎まさよしさん。お相手は、9歳年下の一般女性です。
アーティスト、特にミュージシャンの中には結婚していても結婚指輪をつけない男性が多いですが、山崎まさよしさんは、結婚指輪をつけながら活動されています。山崎さんのそういったところが好感度が高いと話題になり、ファンからも祝福の声が多数寄せられる幸せな結婚発表となりました。
小さな小料理屋風の居酒屋で働いていた奥様と、そこに客として行った山崎まさよしさんが出会ったのが、2人の馴れ初めです。元々はミステリアスな女性がタイプだと公言していましたが、奥様はミステリアスではなく可愛らしい方のようです。
山崎まさよしさんが浮気しない理由を「嫁がかわいいから…」と語ったこともありました!
2011年4月(当時39歳)に第1子となる男の子、2015年(当時44歳)には第2子となる女の子も誕生しています。子供が誕生して2児のパパとなった山崎まさよしさんは、娘の誕生を記念して娘のことを歌った曲を発表しています。
娘を想って作り、誕生の喜びといつか親元を離れていってしまう寂しさを表現した曲「君の名前」です。山崎まさよしさんがご家族を本当に大切にしているのが分かりますね!自分の為の曲が発売されたなんて、子供さんは幸せですね!

山崎まさよしさんは、お子さんをライブでお披露目したことがあったの?

2013年に徳島県で開催されたライブイベントで、2歳となった自身の子供をステージに上げ、「2歳になるしゅうです」とファンにお披露目したんだって!ファンもびっくりしたようですが、自分の子供の可愛さをファンにも見せたいと思う子煩悩な山崎まさよしさん、可愛すぎだよね!
山崎まさよしがライブで歌いたくなかったのはなぜ?
引用元:ダイヤモンドオンライン
引用元:文春オンライン
山崎まさよしさんは2023年10月21日(当時51歳)に水戸市民会館で行った弾き語りライブツアー「YAMAZAKI MASAYOSHI “ONE KNIGHT STAND TOUR 2023”」にて、「今日はあんまり歌いたくない」などと発言したとファンがSNSに投稿し、大炎上しました。
普段は20曲以上歌う山崎まさよしさんですが、この日は8曲しか歌わなかったといいます。中盤からは場内がざわつき始め、帰るファンが続出したなどという内容の投稿が拡散され、物議を醸していました。
実はこの「歌いたくない」発言の裏には、山崎まさよしさんのある狙いがあったといいます。
関係者によると、今回のツアーはバックバンドなしで1人で歌い、トークを多めとする構成になっており、SNSには「山崎が“今日は歌うよりファンと会話を楽しみたい”と話していた」との投稿もありました!
しかし、賛同できないファンからは不満の声もあがり、所属するオフィスオーガスタは「予定していた内容と異なる公演となりましたため、ご希望するお客さまにはチケット払い戻しをさせていただきます」とした上で、「みなさまにご迷惑とご心配をお掛けしましたこと、深くお詫び申し上げます」と謝罪しました。
初めから、トーク多めの説明があったら、こんなことにはならなかったかもしれないですね。

騒動の後のコンサートでは、ちゃんと歌ったのかな?

騒動後の11月2日の名古屋公演では、18曲を熱唱したんだって!冒頭では「ご心配をおかけしました」と“お詫び”の挨拶もあったそうだよ!
山崎まさよしさんがデビューしたは1995年はこんな年だった!
引用元:YAHOO!JAPAN天気・災害、毎日新聞、時事ドットコム
山崎まさよしさんがデビューした1995年は、「阪神・淡路大震災」、「地下鉄サリン事件」、「野茂投手が米大リーグで新人王に」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、仰木 彬 さん(オリックス監督)の「がんばろうKOBE」が受賞しました。
山崎まさよしのプロフィール・SNS
引用元:山崎まさよしOFFICIAL WEB SITE
プロフィール
- 名前:山崎 まさよし(やまざき まさよし)
- 本名: 山崎 将義(やまざき まさよし)
- 生年月日:1971年12月23日
- 年齢:53歳(2025年2月現在)
- 出身地:滋賀県
- 血液型:A型
- 趣味:DIY
- 特技:料理、DIY
- 所属事務所:オフィスオーガスタ
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/official_yama
事務所で遭遇しました✨#山崎まさよし #岡本定義 #元ちとせ pic.twitter.com/eVNYTwwLTo
— 山崎まさよし(Official) (@official_yama) January 29, 2025
- TikTok URL:https://www.tiktok.com/@officeaugusta
@officeaugusta #オフィスオーガスタ #山崎まさよし #ギター #レッスン #弾いてみた #企画 #アルバム #配信中 ♬ オリジナル楽曲 - オフィスオーガスタ
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- YouTube URL:https://www.youtube.com/watch?v=BqFftJDXii0&t=1s
- オフィシャルサイト URL:https://www.office-augusta.com/yama/


山崎まさよしさんは、趣味も特技もDIYだけど、ハマったきっかけはなんだったのかな?

東日本大震災で、自室兼スタジオのギターが倒れたんだって。それで、複数のギターをまとめて立てかけられるギタースタンドを作ったことが、DIYにハマるきっかけだったそうだよ!