「状況劇場」「劇団唐組」を立ち上げ、劇作家・演出家・俳優として活躍されていた唐十郎さん。
小説の執筆も手掛け、「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞されました。
今回は唐十郎さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】唐十郎は若い頃イケメン?
20代(1960年~1970年)
引用元:毎日新聞
唐十郎さんは東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で生まれました。終戦後、夜の仕事をする人々が住み着いて混沌としていた下町が唐さんの原点です。
幼少期は児童劇団「キューピット」に所属して活動されていたと、劇作家・演出家で唐さんの幼なじみの佐藤信さんが語っています。その後は下谷区立坂本小学校、私立駒込中学校、東邦大学付属東邦高校、明治大学文学部文学科(演劇学専攻)を卒業されました。
そして、演劇の新テーゼ「特権的肉体論」を提唱して、1963年(当時23歳)に、笹原茂峻(笹原茂朱)さん達と共に劇団「シチュエーションの会」(のちの状況劇場)を旗揚げします。旗揚げ公演はサルトルさん作の「恭しき娼婦」でした。
翌1964年(当時24歳)の戯曲「24時53分『塔の下』行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている」で初めて「唐十郎」という筆名を使ったそうです。
写真は1969年、29歳の頃に撮影されたものです。演出家であり、俳優や作家でもあり、さらに楽器も出来るなんて多才ですね!
引用元:日刊スポーツ
唐十郎さんは1967年(当時27歳)、新宿・花園神社境内に紅(あか)テントを建て「腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇」を上演しました。この紅テントが話題を呼び、後の「状況劇場」の方向性を決定づけました。
当時は「演劇」というと主に歌舞伎や新劇を大きな劇場で見せるものだったので、神社の境内のテントで演劇が見られるというのは斬新だったようで、注目を浴びて若者に支持されました。
花園神社の紅テントでは、その後も舞台「アリババ」「傀儡版壺坂霊験期」「由比正雪 反面教師の巻」を上演しましたが、公序良俗に反するとして地元商店連合会などから排斥運動が起こりました。
1968年(当時28歳)に神社境内の使用禁止が通告され、状況劇場は花園神社から姿を消しましたが1979年に和解されたとのことです。写真は1969年、29歳の頃に撮影されたものです。煙草を吸う姿が決まってますね!
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「唐十郎」という名前の由来って何なんだろう?
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「昔、唐天竺に十人のつわものありき」という漢詩から来ているみたいだよ!
30代(1970年~1980年)
引用元:日刊スポーツ
唐十郎さんは1970年頃から、「天井桟敷」の寺山修司さん、「早稲田小劇場」の鈴木忠志さん、「黒テント」の佐藤信さんと共にアングラ演劇の旗手と見なされて、マスコミにしばしば取り上げられるようになります。
1970年(当時30歳)というと、唐十郎さんが戯曲「少女仮面」で「岸田國士(きしだくにお)戯曲賞」を受賞された年でもあります。「新人劇作家の登竜門」「演劇界の芥川賞」とも呼ばれる賞ですが、ベテラン作家さんの受賞も多いです。
戯曲「少女仮面」は聖と俗が入り交じったスケールの大きな世界と、客席と一体の空間を活かした演出で多くの支持を集めました。こちらの画像は30歳の頃の唐十郎さんです。髭があるとまた少し雰囲気が違いますね。
引用元:毎日新聞
こちらの画像は31歳の唐十郎さんです。このころは韓国の抵抗詩人で当時保釈中の金芝河(キム・ジハ)さんとの合同公演を計画して戒厳令下の韓国に渡航して取材をし、戯曲「二都物語」を執筆されていました。
1972年3月(当時32歳)に再度渡韓し、無許可のまま、ソウルにて金芝河さん作のミュージカル「金冠のイエス」と「二都物語」を韓国語で上演したそうです。
翌1973年(当時33歳)には、バングラデシュで戯曲「ベンガルの虎」、1974年にはレバノン、シリアの難民キャンプで「アラブ版・風の又三郎」といずれも現地の言葉での上演を行いました。
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このころ紅テントの買い替え費用を赤塚不二夫さんが出したそうだけど、いくらくらいしたのかな?
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750万円だって言われているよ。しかも1970年代のことだからお金の価値が今とは違うよね。2023年の物価が1965年の2.4倍とされているから、当時の750万円は今だと1800万円くらいということに……!
40代(1980年~1990年)
引用元:スポニチアネックス
40代に入り唐十郎さんは小説の執筆も手掛け、1982年(当時42歳)には「佐川君からの手紙」を発表しました。
本作は「オランダ人の若い女性を殺した」という手紙を犯人の日本人男性から受け取った作家は、事件の現場であるパリを訪れることになる……という1981年にフランスで実際に起きたパリ人肉事件という猟奇殺人事件の真相とその後日談を綴ったものです。
「パリの街の描写が素晴らしい。目に浮かぶよう」「演劇を見るような印象の作品だった」「実際の事件をもとにしているので胸糞悪い感じもするがそういう感想こそが狙いなのだろう」など読者の意見は賛否ありましたが、高く評価されて芥川賞を受賞しました。
こちらの画像は、芥川賞の贈呈式で挨拶状を広げる唐十郎さんの写真です。
引用元:毎日新聞
唐十郎さんは、1988年(当時48歳)に状況劇場を解散しましたが、翌年に「劇団唐組」を結成して各地でテント公演を続け、数々の独創的な作品の上演を続けました。
現在も「劇団唐組」ウェブサイトの座長紹介ページには唐十郎さんの名前があり、唐さんの誕生日である2月11日には毎年入団試験が行われています。
唐十郎から与えられ、培われた「存在」の探求を、久保井研をはじめとする劇団員が、門をくぐる者たちへ伝承して行く。
―情熱あるものは、門をたたけ―
引用元:劇団唐組公式ブログ
写真は、同年に「『下町唐座』旗揚げ公演で連日ずぶ濡れになって熱演を続ける座長」と紹介された唐十郎さんです。
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小説を書くようになったきっかけは何だったのかな?
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中央公論社「海」の編集者だった村松友視さんに薦められたことがきっかけみたいだよ!
50代以上(1990年~)
引用元:読売新聞オンライン
1990年代以降の唐十郎さんは大学で教授として教壇に立ち、多くの若い世代の育成に尽力されました。
1997年(当時57歳)には横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程教授に就任し、2005年(当時65歳)に定年退職されるまで「舞台芸術論」などの講義や「劇団唐ゼミ☆」の指導をされていました。
「劇団唐ゼミ☆」は授業のゼミナールで行った演劇公演を元に発足した劇団で、横浜や東京を中心に全国で唐十郎さんの作品を上演しています。公演にはオリジナルの「青テント」を用いているとのことです。
2014~2015年は一旦テントを脇に置き、トラックの荷台に囲いをした程度の劇空間を追及したり、野外上演で環境とお芝居の一体化を図るなどの実験が続きました。
引用元:産経新聞
唐十郎さんは2005年(当時65歳)に近畿大学文芸学部の客員教授に就任し、2010年(当時70歳)に最終講義を行いました。
2012年4月(当時72歳)からは唐さんの母校である明治大学文学部の客員教授に就任し「演出論A」の講義を担当されましたが、同年5月の転倒事故で脳挫傷の大怪我を負って長期の療養生活に入ります。その後リハビリと専門医によるトレーニングを経て、2015年(当時75歳)に著書「ダイバダッタ」を出版しました。
同年には明治大学に文学・演劇関係の貴重な資料を寄贈し、現在も大学側で「唐十郎アーカイヴ」として整理・記録を続けているとのことです。
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「ダイバダッタ」ってどういう本?
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劇作家であり小説家であり役者でもある唐十郎さんが、自分の中の世界をどうやって作品に仕上げてきたかを書かれているよ。唐十郎さんの娘さんがあとがきを担当したみたいだね。
【画像】唐十郎の嫁は二人とも女優?息子は大鶴義丹と大鶴佐助!
唐十郎の嫁は二人とも女優?
引用元:スポニチアネックス
引用元:東京新聞
唐十郎さんの1人目の奥さんは、「アングラの女王」の異名を持つ女優の李麗仙(り れいせん、イ・ヨソン)さんです。
李さんが舞台芸術学院(東京都豊島区の専門学校)に通っていた期間に唐さんと知り合い、舞台芸術学院中退後に唐さんが設立した状況劇場に参加して看板女優として活躍していました。
お2人は1967年(唐さん当時27歳)にご結婚され、翌年に男の子が生まれましたが1988年(唐さん当時48歳)に離婚されました。
ですが、嫌い合って別れたわけではなく離婚後も盟友として関わりがあったようで、2021年6月に李さんが亡くなると唐さんは療養中で体が不自由な中、手を叩いて劇中の歌を歌い「李麗仙、また逢おう!」という言葉で見送ったそうです。
上の画像は2枚とも李麗仙さんのお写真です。看板女優だけあって美しい方ですね!
唐さんの2度目のご結婚は1989年(唐さん当時49歳)で、お相手は22歳年下の萩原美和子さんと言われています。
萩原さんのご職業はメイクアップアーティスト・脚本家・劇団員など様々な噂があるようで、お2人の間には2人のお子さんがおり、1991年に女の子、1993年に男の子が生まれています。
残念ながら萩原美和子さんのお写真は見つかりませんでしたが、きっと李麗仙さん同様、美しい方なのでしょう。
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唐十郎さんと李麗仙さんってどういう親だったんだろう?
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お2人とも忙しくて、子供の誕生日を祝うとかもなかなか出来なかったみたいだね。その代わり「勉強しろ」など、ああしろこうしろも言われなかったんだとか。
息子さんはお友達の家に行くと「親ってこんなに子供の面倒を見るものなのか」と驚いていたんだって。
唐十郎の息子は大鶴義丹と大鶴佐助!
引用元:NHKアーカイブス
唐十郎さんは2度ご結婚され、3人のお子さんが生まれました。
1人目は最初の奥さんである李麗仙さんとの間に生まれた、俳優の大鶴義丹さんです。映画「首都高速トライアル」や「湾岸ミッドナイト」の主演を務めたほか、小説家や映画監督としても活躍されています。
大鶴義丹さんは2階に稽古場があるご自宅で育ちました。追い込みの時期は夜11時まで稽古が続き、唐さんも李さんもそちらにかかりきりだったようです。
引用元:婦人公論
こちらの画像は、幼い頃の大鶴義丹さんと唐さんご夫婦の写真です。
「物心ついたときからそういう環境で、親の代わりに劇団員のお兄さんお姉さんが幼い僕の相手をしてくれることも多かったですね。(中略)何しろ床板1枚隔てた2階では、殺し合いさながらの激しいアングラ劇をやっている。5歳の子どもでも、そこが緊迫した大人たちのゾーンだということは感じます。どんなに空腹でも、「おなかが空いた」なんて言えない。
親にしても「3時間くらい食わなくても死にやしない」という考えで、まさに昭和(笑)。今の時代なら確実に問題になっていますね。」
引用元:婦人公論
引用元:SPICE、nora
唐十郎さんの2人目と3人目のお子さんは、再婚相手との間に生まれた女優の大鶴美仁音(みにおん)さんと俳優の大鶴佐助さんです。
美仁音さんは現在(2025年2月時点)、劇団唐組に所属して、舞台女優として活躍されています。
佐助さんは2005年、12歳の時に映画「ガラスの使徒」でデビューされ、現在は「劇団ヒトハダ」の座長を務めながらテレビドラマ、映画、舞台、CMと幅広く活躍されています。
中高生時代に反抗期を迎えた時には「演劇はやらない」と宣言されましたが、唐さんの作品「ビニールの城」のセリフの美しさに心が震えて涙を流し、複雑な思いを抱きつつも同じ道を選んだとのことです。
3人のお子さんが全員俳優さんと女優さんになっているところに、唐十郎さんからの遺伝を感じますね。
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美仁音さんと佐助さんって、
長男の義丹さんとは結構歳が離れているよね?
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義丹さんから見たら美仁音さんは23歳年下、佐助さんは25歳年下だよ。
親子くらいの歳の差だね!
唐十郎のプロフィール・著書
引用元:ウィキペディア
プロフィール
- 名前:唐 十郎(から じゅうろう)
- 本名: 大靏 義英(おおつる よしひで)
- 生年月日:1940年2月11日
- 年齢:享年84歳(2024年5月4日逝去)
- 出身地:東京府東京市下谷区(現・東京都台東区)
- 血液型:O型
- 身長:163cm
- 所属事務所:劇団唐組
著書
引用元:読書メーター
- 1986年:「佐川君からの手紙」
- 1987年:「ビニールの城」
- 1997年:「特権的肉体論」
- 1998年:「少女物語」
- 2004年:「泥人魚」
- 2005年:「ガラスの使徒」
- 2009年:「朝顔男」
- 2012年:「唐十郎:わが青春浮浪伝 (人間の記録)」
- 2017年:「唐十郎 特別講義:演劇・芸術・文学クロストーク」
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唐十郎さん有名になる前、お金で苦労することもあったのかな?
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物心がつく頃に戦争が終わったくらいの世代なのもあって、貧乏だった時代はあるみたいだね。
紙が自由に手に入らなかった頃の癖で、戯曲を書く時はカレンダーの裏にものすごく小さい字で書いてたんだって。