日本のアニメ監督として活躍を続けている宮崎駿さん。
アニメーション作成会社スタジオジブリで、様々な名作アニメーションを手掛けてきました。
今回は宮崎駿さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】宮崎駿は若い頃どんな人?
幼少期・10代(1941年~1961年)
引用元:X
宮崎駿さんは、幼児期に太平洋戦争がはじまり、疎開の経験をしました。
この時宮崎駿さんは、一族の会社が軍用機の部品の生産をしていたこともあり、軍事用兵器に対する憧れと嫌悪という感情が生まれたようです。
また「助けてあげようと家族に伝えられなかったことが負い目となり、作品に大きな影響を与えた」と空襲の際に子連れの女性が助けられなかったことを明かしていました。
上の画像は幼児期の家族写真です。幼児期の宮崎駿さんは身体が弱く医者から「20歳まで生きられない。」と言われていたそうです。このことも作品に大きな影響を与えたといいます。
引用元:X
宮崎駿さんは、幼少期から熱心な読書家であり、漫画少年でもあったようです。
中学生になった宮崎駿さんは、江戸川乱歩の長編小説『幽麗塔』を読み、深く記憶に刻まれたといいます。そして、その影響は、宮崎駿さんが劇場長編作品として初監督した映画『カリオストロの城』に表れているようです。
高校時代には「漫画家になろう」と思っていたようですが、高校3年生で観たアニメ『白蛇伝』に感動し、アニメーションに興味を持ち始めたといいます。そして、大学時代にはアニメーションの道へ進むことを決意したようです。
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宮崎駿さんは、どうしてアニメーションの道へ進むと決めたのかな?
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はじめは漫画家を目指す中で「自分の求めている世界はここではない」と感じ、アニメーションの道に進むことを決めたみたいよ!
20代(1961年~1971年)
引用元:X
宮崎駿さんは、1963年(当時22歳)に、東映動画にアニメーターとして入社しました。入社から1年後、宮崎駿さんは、ソ連製作長編アニメーション映画『雪の女王』を観て、アニメーションで生きていくことを決めたそうです。
このことについて「これほどのいいアニメーションができるなら、いつか自分もやってみたい。アニメーターになっていてよかったと思って、はっきりと腰がすわった」とお話しされており、アニメーションに真剣に取り組んでいたことが確認できます。
上の画像は1964年(当時23歳)に労働組合の書記長をしていた時のものです。当時の労働問題にも、労働組合として真剣に取り組んでいたようです。
引用元:X
宮崎駿さんは、1965年(当時24歳)に制作開始した劇場用アニメ映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』に参加されました。この時、宮崎駿さんは、脚本づくりを手伝ったり、場面のイメージボードを作成したりという形で作品に貢献していたようです。
上の画像はその製作時のもので、本作は宮崎駿さんが本格的に制作に携わった初めてのアニメ作品であり、アニメ業界において歴史に残る作品となっています。
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宮崎駿さんは、どうして労働組合に参加していたのかな?
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それは、女性アニメーター差別があった当時のアニメーターの処遇を改善したいという理由から、労働組合員になったみたいよ!
30代(1971年~1981年)
引用元:X若い頃の宮崎駿、かわいい気がしてきた pic.twitter.com/cLYXZsHiWY
— ムグラシ (@fkgwfkgw) November 17, 2023
宮崎駿さんは、1971年(当時30歳)の時に東映動画を退社し、Aプロダクションに移籍しました。この時、宮崎駿さんは『長くつ下のピッピ』を作成するために移籍したそうです。
『長くつ下のピッピ』をアニメ化するにあたり、原作者のアストリッド・リンドグリーンさんが住むスウェーデンに企画交渉に向かうスタッフに同行して、スウェーデンの美しい景観と経験をもとに沢山のイメージボードを書かれたそうです。
しかし、こちらの企画は残念ながら原作者の許諾が得られず、打ち切りとなってしまいました。
このころ、宮崎さんは数々の有名作品の制作に関わりました。同年に放送された『ルパン三世』(第1シーズン)では、初めて演出を手がけ、視聴率が低迷していた低年齢向けに軌道修正を行ったようです。
そしてその後、1973(当時32歳)年には『パンダコパンダ』に参加し、原案・脚本・美術設定・画面構成、原画などを担当し製作されました。当時は「子ども達には喜んでもらえた」とお話しされており、幼い息子さんにも好評で嬉しかったそうです。
引用元:X
宮崎駿さんは、1973年(当時32歳)の『パンダコパンダ』作成後、ズイヨー映像(のちの日本アニメーション)に移籍されました。移籍後に製作されたのがアニメ『アルプスの少女ハイジ』で、場面設定・画面構成を担当されました。
『アルプスの少女ハイジ』は最高視聴率26.9%を記録した大ヒットとなり、世間的にも実力が認められた、初の大きな成功といえるものだったようです。
引用元:FILM
宮崎駿さんは、『アルプスの少女ハイジ』制作の1年後、1976年(当時35歳)に『母をたずねて三千里』でも場面設定・レイアウトを担当されました。
この時の宮崎駿さんは、当時のアニメーターとしては前代未聞の仕事量で、現在でも伝説的に語り継がれているようです。上の画像はアニメ狂専誌「FILM 1/24」という雑誌で『母をたずねて三千里』が特集された時のものです。
雑誌で取り上げられるほど有名になってきていたことがわかりますね。
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宮崎駿さんはこのころ、他にどんな作品にかかわっていたのかな?
引用元:バンダイチャンネル、バンダイチャンネル、バンダイチャンネル
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有名なものでは『未来少年コナン』や『赤毛のアン』、『ルパン三世 カリオストロの城』に携わったみたいよ!
40代以上(1981年~)
引用元:BUSINESS INSIDER
「この雑誌がなければ、スタジオジブリは存在しなかったかもしれない」
のちのインタビューで鈴木敏夫プロデューサーがそう語るほど、スタジオジブリにとって大切な雑誌が、『アニメージュ』というアニメ雑誌だそうです。この『アニメージュ』では1982年(当時41歳)に、『風の谷のナウシカ』の連載をスタートされました。
『風の谷のナウシカ』は、多くの読者の支持を集めました。そして、当時1部で知られる存在だった宮崎駿さんの名前を広く知らしめることとなりました。その後、本作は1984年(当時43歳)にアニメーション映画として制作・公開されました。
上の画像は『風の谷のナウシカ』が連載されていた雑誌『アニメージュ』です。
引用元:X
宮崎駿さんは、1985年(当時44歳)の時にスタジオジブリを設立しました。
この時宮崎駿さんは、「映画館に入ってはじめは大したことないやとおもってるんだけど、いつの間にかヒロインの行動にドキドキして、最後には一緒になって喜んで出られるという経験を持てればそれでいい」とお話しされており、ご自身がやりたかったことを追求するための設立だったことが伺えます。
当初は吉祥寺の貸しビルのワンフロアだったというスタジオジブリは、映画による興行収入が安定するまでは社員を雇わず、作品ごとにスタッフを集めては解散するという形をとっていたそうです。
上の画像は1986年(当時45歳)『天空の城ラピュタ』が公開された時の新聞に掲載されたものです。
「自分が面白いことや制作陣が楽しいことが大切である」と語っていて、そういう気持ちで作られているから観る人も楽しい気持ちにさせられるのだと感じました。
引用元:MOVIE WALKER PRESS
宮崎駿さんは『天空の城ラピュタ』以降、様々なジブリ作品を作り上げてきました。
2001年(当時60歳)に発表した『千と千尋の神隠し』では、国内映画興行収入1位の座に約20年ものあいだ君臨し続け、日本映画を代表する作品となりました。
翌年のベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞し、2003年(当時62歳)にはアカデミー賞長編アニメ賞を受賞されました。
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宮崎駿さんは、2025年現在も活躍しているのかな?
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引退宣言もあったけれど、2024年(当時83歳)には『君たちはどう生きるか』を公開して、ご自身2度目の長編アニメ映画賞を受賞したよ!
宮崎駿さんが所属する”スタジオジブリ”には他に誰が所属してる?
引用元:映画ナタリー、ORICON NEWS、シネマトゥデイ
宮崎駿さんの所属するスタジオジブリには、高畑勲さん、鈴木敏夫さんや宮崎吾朗さんなどが所属しています。
【画像】宮崎駿の息子の職業は?妻朱美との馴れ初めは?
宮崎駿の息子の職業は?
引用元:文春オンライン
宮崎駿さんの息子さんは、宮崎吾郎さんです。
大学卒業後は、建築コンサルタント・環境デザイナーとして働いていましたが、1998年にはスタジオジブリに入社しアニメ監督として活躍されています。
2006年には『ゲド戦記』、2011年には『コクリコ坂から』を制作し公開しています。
引用元:BUSINESS INSIDER
宮崎吾郎さんは、建築業界での経験をもとに「ジブリパーク」の製作指揮をとり、見事にジブリ作品の世界観を現実に再現されました。
「もしかしたら気づかれないのではないか」と思われるような細部にまでこだわり、作り込まれた空間に2022年の開業以降、多くの人が魅了されています。
宮崎吾朗さんはインタビューで「それは僕自身、隙間があるとついうめたくなってしまうからですね。恐怖心、みたいなものもあるのかもしれません。」と話され、来場したお客さんにとって面白くない空間が少しでもできてしまうことが嫌なんだと語られていました。
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宮崎吾郎さんは、どんな思いでジブリパークをつくったのかな?
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「ジブリをいろいろなものに詰め込んで、多くの人にジブリ作品の忘れられないようにしたい」という思いから、ジブリパークをつくったみたいよ!
引用元:X(エックス)
宮崎駿さんにはもう1人、息子さんがいらっしゃいます。お名前は宮崎敬介さんといい、宮崎駿さんの次男です。日本の版画家として活躍されています。
普段は父親が著名な監督であることを伏せているようですが、映画『耳をすませば』では宮崎敬介さんの版画が登場し製作に携わっているようです。
宮崎駿と妻朱美の馴れ初めは?
引用元:X下山が電撃的に茜と結婚しました。下山のモチーフとなった大塚康生さんは仕上スタッフの本橋文枝さんとご結婚されています。茜は名前の読みが似ていることから大田朱美さん(宮崎駿監督の奥様)がモチーフだと思われていましたが、違ったようです。#なつぞら pic.twitter.com/Y3ar3CvSsP
— キャッスル@ジブリフリーク (@castle_gtm) July 29, 2019
宮崎駿さんの奥様はお名前を大田朱美さんといい、上のX投稿右写真の女性です。
大田朱美さんも宮崎駿さんと同じ東映動画に入社し、アニメーターとして活躍されていました。大田さんは宮崎駿さんがアニメに興味を持つきっかけとなった『白蛇伝』でアニメーターとしてデビューされており、以降「西遊記」や「アラビアンナイト・シンドバットの冒険」などの有名作にも携わっていました。
同じアニメーターとして仲を深めたお2人は1965年に「結婚後も仕事を続ける」という条件のもとご結婚したそうです。そして、大田さんは1967年に宮崎吾郎さん、1970年に宮崎敬介さんを出産された後も宣言通りアニメーターを続けていたようです。
1971年に宮崎駿さんが「Aプロダクション」へ移籍し、生活スタイルが一変し「共働きは無理だ」と仕事をやめるように頼まれ、1972年には、東映動画を退職してアニメーターを引退されました。その後は、専業主婦として家事や子育てに専念されたそうです。
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大田朱美さんは、仕事をやめることに不満はなかったのかな?
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才能を惜しまれつつ引退したこともあって不満はあったみたいよ。書籍でも「ときどき思い出しては腹を立てていた」という発言をしているよ!
宮崎駿のプロフィール・SNS
引用元:tvgroove
プロフィール
- 名前:宮崎 駿(みやざき はやお)
- 生年月日:1941年1月5日
- 年齢:84歳(2025年2月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:O型
- 趣味:絵描き、ミリタリー系
- 特技:イラスト
- 所属事務所:スタジオジブリ
受賞歴
日本アニメ大賞
- 1984年:作品賞 『風の谷のナウシカ』
- 1988年:作品賞、脚本賞『となりのトトロ』
星雲賞
- 1985年:映画演劇部門『風の谷のナウシカ』
- 1989年:映画演劇部門『となりのトトロ』
- 1995年:コミック賞『風の谷のナウシカ』
毎日映画コンクール
- 1986年:大藤信郎賞『天空の城ラピュタ』
- 1988年:日本映画大賞、大藤信郎賞『となりのトトロ』
- 1989年:アニメーション映画賞『魔女の宅急便』
- 1992年:アニメーション映画賞『紅の豚』
- 1997年:日本映画大賞、アニメーション映画賞『もののけ姫』
- 1997年:日本映画大賞、監督賞、アニメーション映画賞『千と千尋の神隠し』
- 2008年:大藤信郎賞『崖の上のポニョ』
ブルーリボン賞
- 1988年:特別賞『となりのトトロ』
- 1997年:特別賞『もののけ姫』
- 2001年:作品賞『千と千尋の神隠し』
報知映画賞
- 1988年:監督賞『となりのトトロ』
- 2001年:監督賞『千と千尋の神隠し』
芸術選奨
- 1989年:文部大臣賞(映画部門)『となりのトトロ』
ゴールデングロス賞
- 1989年:最優秀金賞『魔女の宅急便』
- 1992年:最優秀金賞『紅の豚』
- 1997年:最優秀金賞『もののけ姫』
- 2001年:最優秀金賞『千と千尋の神隠し』
- 2005年:最優秀金賞『ハウルの動く城』
- 2008年:最優秀金賞『崖の上のポニョ』
- 2013年:最優秀金賞『風立ちぬ』
アヌシー国際アニメーション映画祭
- 1993年:長編部門クリスタル賞(グランプリ)『紅の豚』
日本漫画家協会賞
- 1994年:大賞『風の谷のナウシカ』
日本アカデミー賞
- 1997年:作品賞『もののけ姫』
- 2001年:作品賞『千と千尋の神隠し』
- 2008年:アニメーション作品賞『崖の上のポニョ』
日刊スポーツ映画大賞
- 1997年:監督賞『もののけ姫』
- 2001年:作品賞『千と千尋の神隠し』
アニメーション神戸
- 2001年:作品賞・劇場部門『千と千尋の神隠し』
文化庁メディア芸術祭
- 1997年:アニメーション部門大賞『もののけ姫』
- 2001年:アニメーション部門大賞『千と千尋の神隠し』
アニー省
- 2002年:長編作品賞、長編作品監督賞、長編作品脚本賞『千と千尋の神隠し』
- 2013年:長編作品脚本賞『風立ちぬ』
ベルリン国際映画祭
- 2002年:金熊賞『千と千尋の神隠し』
アカデミー賞
- 2003年:長編アニメーション映画賞『千と千尋の神隠し』
- 2005年:長編アニメーション映画賞『ハウルの動く城』*ノミネート
- 2013年:長編アニメーション映画賞『風立ちぬ』*ノミネート
- 2024年:長編アニメーション映画賞『君たちはどう生きるか』
ニューヨーク映画批評家協賛賞
- 2002年:アニメ映画賞『千と千尋の神隠し』
- 2005年:アニメ映画賞『ハウルの動く城』
- 2013年:アニメ映画賞『風立ちぬ』
ロサンゼルス映画批評家協賛賞
- 2002年:アニメ映画賞『千と千尋の神隠し』
- 2013年:アニメ映画賞『風立ちぬ』*ノミネート
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
- 2002年:アニメ映画賞『千と千尋の神隠し』
- 2013年:アニメ映画賞『風立ちぬ』
ヴェネツィア国際映画祭
- 2008年:ミッモ・ロテッラ財団賞、フューチャー・フィルム・フェスティバル・デジタル・アワード特別表彰『崖の上のポニョ』
ネビュラ賞
- 2007年:スクリプト賞『ハウルの動く城』
アイズナー賞
- 2023年:最優秀アジア作品(Best U.S. Edition of International Material—Asia)『シュナの旅』
ゴールデングローブ賞
- 2023年:最優秀アニメーション映画賞『君たちはどう生きるか』
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宮崎駿さんの趣味のミリタリーのきっかけって何なのかな?
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幼少期の戦争の経験や一族の職業がきっかけみたいだね!